leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

初心に戻って~高校生の頃の感想文コンクールにて賞を頂いた時の気持ちで

気力なく、好きな文章なのに、ブログからまた長いこと遠ざかっていた。

Twitterという楽な手段を覚えると、怖いものだ。

 

今日は、私が高校生の時にある新聞社の感想文コンクールで賞を頂いた、その感想文を原文のまま記載したい。あの頃から全く成長していない、ただ早熟だっただけのような気もするが、私はこうして今も生きている。その間、色々なことがあった。楽しいという感情が私には欠如しているせいか、悲しく辛い過去かもしれないが、生きるために必死であっという間だった。この感想文を載せることで、初心に戻りたい。

 

            

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「生きることの意味」

生きることの喜び、生きることのすばらしさ、それが何なのか、はっきりとはつかめないまでも、ともかくこの一冊の本が私の心に一種の衝撃を与えたことに変わりはない。

戦時下の日本に生まれ、敗戦を迎えるまでのある一朝鮮人少年の生い立ち。父と兄に見守られる中で、つらい出来事が日々弟の金天三(キムチョンサム)を襲う。それは、一家の苦しみでもあった。

日韓併合の後、多くの朝鮮人が日本へ渡ってきた。強制的に連れて来られた人も少なくなかったという。また、母国語である朝鮮語を奪われ、創始改名も余儀なくされた。

私は、主人公の天三と違って、このことを小さい頃から幾度となく聞かされていた。なぜなら、私も在日朝鮮人の一人だから。

しかし、朝鮮人だと言われても、日本の土地で日本人に囲まれ、日本人と何一つ変わらない生活をしてきた私としては、どうもピンとこなかった。それは、天三も同じらしい。

彼の性格は、学校に通うようになってガラリと変わる。初めての外の世界で、彼は自分が「朝鮮人」だということを強く思い知らされるのだ。当時、朝鮮人がいかに貧しかったか。このことが彼を恐れさせ、言いしれない淋しさへと追い込んでゆく。だが、その心とは裏腹に、乱暴者へと変化していく天三。私には、彼の気持ちが手にとるようによくわかる。行き場のない心。父や兄にはうまく相談できず、一番聴いてもらいたい母が死んでしまった状況の中で幼い心の内を誰にぶつけることができただろうか。

朝鮮人、ニンニクくさい!」小学生の頃に何度も言われた、彼も私も。在日朝鮮人の中のほとんどが耳にした言葉だと思う。彼は、その時のことを振り返って、暴力をふるうしか逃げ場がなかった自分を、臆病者だと言っている。確かに、暴力は決して正しい解決とは言えない。しかし、まがりなりにも、彼は一人で立ち向かっていった。私には、それができなかった。仲間がいた時は、何を言われても平気だった。ところが、事情があって朝鮮学校から日本学校へ移った時、私は言いしれない恐怖を覚えた。たった一人だけ、朝鮮人だということが怖くもあり、悲しくもあった。

しかし、思っていたよりも周りは親切だった。戦時下の日本の子供達に比べて、現代の子供達はあまり意識していないようだ。そこが、彼とは違って十分に救われたが、時には言われることもあった。「お前、朝鮮人なんだって?どうりで生意気な...。」おぼろげながら、先輩にこう言われたことを覚えている。

くやしくて、腹立たしくて...。それでいて、何も言い返せない自分が一番情けなかった。

朝鮮人ではなく日本人として、どんなに生まれたかったか。私の方が、よっぽど臆病だ。

死のうとする父、学校に行きたくても行けずに家を出て行った兄を通して、人が生きていくということを、改めて考える天三。その思いはつらく、淋しいものであったに違いない。私は、彼ほどのつらい経験はしていないが、同じ血の流れている民族として、痛いくらいによくわかる。私は主人公である天三を通して、自分を見ている気がした。

彼の一つ一つの行動が、自分のものであるような気がした。そして、胸が熱くなると同時に、涙があふれてきた。

阪井先生との出会い。そのことが、彼を大きく変えた。先生は、日本人であるとか、朝鮮人であるとかいう枠づけを越えて、人間らしい勇気と困難を乗り越えていく力を与えてくれたということでもある。人と人との出会い。大なり小なり、そこから学ぶことは大いにあると思う。彼にとっては、人のやさしさこそが生きる支えであり、力でもあった。

しかし、彼はこのまますくすくと育ったわけではない。太平洋戦争。人間の歴史上かつて見ることのできなほどの残虐で恐ろしい出来事。この戦争が、彼の心を麻痺させてしまう。彼は自分の心の安らぎを、死の中に求めていたのだ。敗戦という現実が彼を解放し、生きる不安の中で救いとなったものは、父の存在だった。彼の父も、また一人の朝鮮人として生き抜くことで、人間のやさしさを教えてくれたのである。

私は今改めて、このやさしさについて考える。そこで思うに、私は人のやさしさをあたりまえのように受けながら、その結果、やさしさを身をもって感じなくなってしまったのではないか、と。朝鮮人だから、そして障害者だからとどこか投げやりで、また自分自身に甘えていたのではないか、と。だが、朝鮮人だろうと障害者だろうと何も恐れることはない。私が私であることに変わりないのだ。

生きることの喜びを、一人の朝鮮人として、一人の障害者として、一人の人間として、大声で言える時が来るようにせいいっぱい生き抜こう。そう、この本が私に教えてくれた。

 

※ 在日朝鮮人~私は、その後思うところがあって、祖国である韓国籍に切り替えた(20代の頃)。

 

改めて数十年ぶりに読み返すと、文章のレベル感が今と変わっていない。これを書いたのが高校1年から2年にかけてだったと思う。学校の課題だった。稚拙な文章で、今と変わりないとなれば、お恥ずかしいが、でもあの頃の私はまだ甘ちゃんだった。当然のことながら、その後の人生の方が困難の連続であり、壮絶でもあった。

死ぬ間際でいいから。「私は生まれてきてよかった!生きていてよかった!」と言えるようになりたいものだ。