leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

夏目漱石

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日本の小学校に転校して、入院先で芥川龍之介太宰治等を毎日のように図書室から借りて読んでいた私だが、軽快なテンポで読みやすいことは認めるが(「坊ちゃん」「吾輩は猫である」など)、どうして、夏目漱石、この人が近代文学の中で文豪と呼ばれるのか、いまいち私にはピンと来なかった。ユーモアがあるが、負けん気の強い頑固おやじの感が否めない彼の作品にあまり良いイメージがなかったという先入観もあったかもしれない。

 

ある時、中学生か高校生だったか、国語の教科書で「こころ」を読んだ。授業では、明治天皇崩御と乃木大将の殉死を契機として生まれた作品であり、徹底した自己否定を貫き、他者と自己を同時に傷つけるエゴイズムの限界を見極めた主人公は、大正という新しい時代を迎えて「明治の精神」に殉死するというもの。そんな背景があるということを教わった。

 

奥の深い作品であることを改めて知った私は、漱石の本を「こころ」を始め、「三四郎 」「それから」「門」の三部作他全作読み直した。人間の孤独とエゴを追い求めていく中で、漱石の苦悩が晩年に従っていくにつれ、作品の中にもにじみ出ている気がした。

 

彼は、「私の個人主義」という作品で「自己本位」を説き、晩年には「則天去私」の思想に至ったとされるが、この二つは相反するようではあるが、漱石にとって、両者の考え方とも重要な視点であり、コインの裏表のような関係であるこの思想を作品に生かすべく、非常に苦悩したのではないかと私には思われてならない。

 

人間のエゴイズムを追及した彼の作品集は、大人になるにしたがって重みを増し、読み返すたびに自分の深層にある利己的部分を掘り起こされるようで、ばつが悪く、そして、罪の意識に苛まれるのである。

 

とにもかくにも、夏目漱石の作品が大衆にとって読みやすいことは認める。