芥川龍之介について
芥川龍之介を知ったのは、日本学校に転校した小学5年生のとき。
道徳の時間だったろうか。「蜘蛛の糸」を読んだときの強烈なインパクト。こんな短い小説の中で、人間の本質をうまく描いた作品だなと子供心に驚きと感動を隠せなかった。
それから、彼の小説は一番最初に全部読破した。彼は、短編小説の神様だと私は思っている。天才の才能を余すところなく学識豊かなところが垣間見える文章、無駄のない理知的な文章、それはそれは魅了されてやまない作家であった。
「藪の中」でみられる人間の利己的な姿、「羅生門」で描かれている人間のエゴイズム、「鼻」での人間の醜い深層心理、「地獄変」では芸術至上主義の要素が強い作品であるがその結末はやはり衝撃的で人を魅了し、晩年の「河童」「歯車」「侏儒の言葉」における人間社会への痛烈な批判や風刺をした作品等。
しかし、晩年の作品を読むにしたがって、彼が自殺へと踏み出すであろうことを予見させるような作品であることを肌で感じながら、芥川自身が「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と遺書に残したことを知り、厭世的な作品に何故か吸い込まれるものがあった。
私は、彼のような天才的な作家でもなんでもない、しがない一人の人間に過ぎないが、私も彼の作品を読んだ時期には人生に悲観し、生きているのが嫌だったせいか、吸い込まれるように、死への道を考えなかったわけではない。ただ、私には勇気がなく、また幻聴のごとく「お前みたいな人間が死んだって地位も名誉も何もないのに誰が悲しむというのか」、そんな言葉が聞こえてきて、生きることにただしがみついていた若かりし日であった。
小学5年で芥川龍之介という素晴らしい作家に出会えたことは、当時の私には誇らしかった。その後、太宰治、夏目漱石と好きな作家は増えていくことになるが、20代は純文学ばかり(海外も含め)読み漁る日々だった。知識も恋愛も人生の教訓も、人間より本から得たものの方が多い。当時、読書感想を途中までノートに書いていたが、今のようにブログがあったら、毎日upして、記録として残していただろう。便利な時代だが、途中でやめてしまった自分が悪いのだから仕方ない。
太宰治や夏目漱石等、純文学が人より多いかもしれないが、彼らの魅力について、またの機会に書きたいと思う。
※突然、芥川について書きたくなったのは、今日の出来事で「藪の中」を思い起こさせる事件に自分が遭遇したからだ。ふと彼の人間の洞察力に、大人になった今、改めて感服した次第である。