leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

差別はなくならない

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私は、まだ学生時代の頃まで、差別がなくなる社会はいつかきっとやってくると信じていた。そう、東西ドイツの統一をテレビ画面に張り付いて観ながら、ああ、無理だと思われていたこともやってやれないことはない!希望はある!と信じてやまなかったあの頃。

 

小さい頃から、在日として、障害者として、差別されてきた事件や相手の発言はいくつもあるが、大人になればなるほど、それは少なくなるどころか、ますます増えていっていると感じる。

日本学校でよく言われたことだが、在日を入れるのに反対の声があったとか、たかだか教習所というほんの短い期間学ぶ所でさえ在日には反対の教官がいたとか、また、会社では障害者は馬鹿だからすぐに辞めるとか、障害者は使い物にならない等、まあ挙げたら切りがない。

一番嫌だったのは、母親のスナック経営でホステスとして手伝っていた時、お前の母さん(雇われている女性の告げ口により知ったもの)朝鮮人だろう、朝鮮人はがめついなあとか、朝鮮人日本民族より劣っているのにあのママは偉そうに...とか。身内の悪口を言われるのは我慢ならなかった(たとえ親が私を縛り付けているとはいえ)。面白いことにそういう人間に限って、飲み代を支払わない滞納者ばかりだったが。

最近まで、こまめに続けていたTwitterにおいては、相手の顔が見えないせいだろうか、毎日のように何度も何度も目に入る嫌韓、障害者嫌い(この障害者嫌いを謳っているのは大体が在日だという何の根拠もない決めつけがいやに多かった、結局は嫌いなものは一緒くたにしたいのか)のツイ、ここまで現状はひどいのか、私は愕然とした。

ましてや、好きなアーティストのアンチにおいても、在日で障害者の割には思慮深く見えるなんて、人を馬鹿にしている発言に、呆れてものが言えなかった。

 

以前も書いたことがあるが、この差別たるや、なぜ終わりが見えないのかは、結局、人間は自分と誰かとを比較して優位に立っていることで、安心して生きられる寂しい動物なのだと思う。アメリカや西欧には容姿や文化において劣っていると感じ気後れする、そして、戦争にも負けた。しかし、アジア、殊に、韓国や中国は戦争で日本に負け、南京大虐殺や植民地支配があり、優位に立った、この日本よりは後進国、数十年前の日本を彷彿とさせる見劣りのする敗戦国には勝てる、そう信じて疑わない人々がこぞって日本民族より下劣な民族として見下す。そんな記事への反論やツイは山のように見た。心理的に、人間は、自己肯定感を維持・安定した状態に置くためにも、自分より劣っていると思われる者がどうしても必要になる。その格好な相手が我々在日であり、韓国朝鮮人、中国人等であろう。

 

在日や韓国朝鮮人が反論すれば、日本人はお国柄どうしようもない連中の集まり、未だ植民地だ、従軍慰安婦だ、日韓併合などありもしなかったことをいう馬鹿な連中、あったとしても、日本のおかげでお前らの国が存続できていると強気に出る。最後には、気に入らなければ、国に帰れ!と毒づくお決まりの流れ。

日本人においては、ヘイトスピーチなどと思ってもいないであろう、自分たちが正しいと信じてやまないのだから。在日や韓国朝鮮人からすれば、真摯に歴史的過ちを一度でも謝罪したことがあるのかとなる。

日本も韓国も大統領、首相が変われば、歴史的認識における差異が出て、日本では昔謝罪したと思われることもひっくり返り、韓国では敵を作って他に目を向けさせようと日本を誹謗中傷の的にする。歴史をいいように操作し、自分たちの都合のいいように解釈する政治家。それに動かされる日本や韓国の国民。

人間の本質として、人より優位に立つことで自己肯定感に安定を求める心理があるとしても、国政が上記のようでは、差別などなくなるはずがない。

国政だけでなく、それが、家庭内の教育において、子供たちに伝わればなおのこと、自分で歴史を勉強し、世の中を見極める力を持たない人間たちは、親と同じように、差別発言を屁とも思わないであろう。

 

そこに、私は、望みは薄くても、絶望せずに、ギリギリのところで人間を信じている。

皆が上記に掲げるような人間ばかりではないからだ。

しかし、差別を根本的になくすことは不可能に近いと、人生経験を積めば積むほど、身に沁みて感じる自分が、それだけ血気盛んな若い頃とは違って、酸いも甘いも嚙み分ける年齢になってしまったからだろうか...。