leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

絶望を知る

        

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母から、この家から、逃げよう...しかし、その当時の私には逃げたくても何をどうしたらよいかわからなかった。

 

小さい頃から、自分の考えを否定され、親の喜ぶ顔が見たい、愛されたい一心の私は、全て母の言われたとおりにしてきた。その結果、もはや自分の意思があるようでない、決断ができない人間になっていた。

 

進路は、私が事故で両足が麻痺してからというもの、一貫して弁護士を目指せとの母の命令(もしそれ以外の職種を選択するなら家から追い出す決まりとなっていた)、司法試験の勉強以外で話があるのなら、すべて母の許可を得なければならない状況にまで自分は縛られていた。

 

家のスナックをホステスとして手伝う自分が、お客さんによく言われていた言葉(私の両足が不自由であり、ママの娘と知っている人々に限る)、「ミエちゃんは足が不自由で在日、可哀そうだけど、社会に出て仕事をするのは、よっぽどのことがない限り難しい、可愛いから今のうちに結婚する人を決めることだね」と。横で聞いている母は、「だから一人でも生きていけるように弁護士になるんです!」、いつも決まって私の代わりに母が答えていた。そうすると、お客さんは、「女は少しぐらいお馬鹿さんの方がいい、ミエちゃんは人の話もよく聞くし、接客がうまい、頭がいいのはわかるけど、一方で天然のところもある、しかも可愛い、今のうちに、若いうちに、結婚させた方がいいよ。弁護士になってどうするの?たくさんいる弁護士の中で成功するとも限らない。しかも、東大や京大出身というわけでもないでしょ。派閥のある法曹界でミエちゃんのような子が生きていくのは大変だよ」と。

中には、私が就職できない、可哀そうな身だと思って、結婚を申し込んでくる人も何人もいた。愛人としてという社長や部長もいた。同伴するためにご飯を一緒に食べるのだが(母はスナックの業績貢献のため、この類の同伴は許していた)、必ずや交際、ないしは愛人契約を申し込んでくる人ばかりに、本能で生きている男という生き物にうんざりしていた。そもそも、恋愛さえもしたことがない(母が決めた人、それは地位・名誉・財産等のある人であればOKを出すとのこと)私には、白馬に乗った王子様がどこかにいるとの思いがあって、スナックで出会って交際、結婚なんて、想像さえできなかった。もちろん、交際を申し込んでくるお客さんの中には、公認会計士建築士等、母が好きそうな名誉・地位を持った人もいたが、下世話な考えしかないのでは?との疑心暗鬼な私としては、真剣になれる人はそうそういなかったし、母はスナックで出会った人に対しては絶対にOKを出さないとしていたので、いいなあと思った人が生涯1人だけいたが、いとも簡単に母に切り裂かれた。

  

私は、社会を知らないゆえ、自分は本当に弁護士になる以外方法がない、でも現状勉強に集中できないほど精神はおかしくなっている、どうしよう、外で働けないとしたら、ここから逃げられない...毎日、悩んでいた。

電話も外出も何もかも監視されている中で、相談する人もなく、気が狂いそうな日々が続いている、相も変わらず我慢してホステスをしていたその時だった。まるで父と瓜二つの人が会社の飲み会で店に来た。父に求めていた愛情に近いものだったと思う、次第に惹かれていった、そして、その年の離れた彼も私を好きだ、一緒に暮らしたいとまで言ってきた。

家を出たい私、弁護士の勉強を続けていいから、俺のそばにいてほしいという彼、意見は一致した。私は、母のいつものように「死ね!産まなきゃよかった!」の言葉が始まるや否や、彼の存在を打ち明けた。烈火のごとく怒り出した母は、私の荷物をゴミ袋に全て入れて、「出て行け!二度とこの家をまたぐな!!戸籍も抜くからな!!」と想像通り、いや想像以上の結果となった。それは、彼があいさつに行っても変わらなかった。

 

 

私は、これで家族のいない人間になった。しかし、母のことで苦しんできた私、家のことで母代わりをしてきた私からようやく解放されるのだ、前向きに考えようとしていた。

 

ところが、1カ月もしないうちに、一緒に暮らし始めた彼が、私の父のように、働かない、言い訳をしては休む、ギャンブル好き、お金がなくなっては自分の親に無心に行く、果ては私が一生懸命に貯めてきた貯金にまで勝手に手を出す人間だということがわかった。子供は、親と似た人を好きになると世間でよく言われるが、皮肉なものだ。

 

最初のうちこそは、彼の言い分を信じていた、情けないと言って涙を流す彼に私も一緒に泣いて同情もした。しかし、1年経ち、2年経ち、状況はまるで変わらない。今度こそ、心を入れ替えて、仕事を新たに探してお前に今までの恩を返す。そして、3年経った。毎日、お金のことしか考えなくなった私は、実家にいた頃とは違った意味で、精神の破綻をきたしていた。密かに近隣の精神科に通ったが、やはり強い薬をくれるばかりで、毎日朦朧とする日々。薬を飲んでも、心が穏やかというよりは、何も考えられないようになってしまっている精神状態になっているだけで、根本的解決には至らなかった。

口にするのもおぞましい。毎日が地獄だった...。

 

私は、20代なりたての頃に、教会に行ったことがあった。文学好きな私、心理学や哲学等も読む私に、キリスト教は学問的興味があると同時に、自分には救われる資格がない(それは母から生まれてこなければよかった存在として烙印を押されていたからだと今になって思う)、神に受け入れられない罪深い人間だからと自己肯定感のまるでない私は勝手に結論付けていたところがあり(もちろん聖書にはそのような人間こそ門をたたくべきと言っているのはわかってはいた)、その疑問を解く糸口になればと何度か通ったのだった。

 

このままでは自分がダメになる、働かなければ...。その前にどこに相談したらいいのか、家族も友人もいない私は、ふと教会のことを思い出した。数年ぶりに訪れた教会、救いが自分にあるか否かはわからない、だが、人と接する機会を与えられただけでも癒しとなり、聖書の勉強会に出る、聖書を読む、自分の中で何かが劇的に変わったわけではないが、今のこの地獄のような生活から脱出しようという力は湧いてきた。

  

私は、ダメもとで、職業訓練校に問合せをし、半年コースなら許可するとのこで、そこでPCや簿記等を学んだ。恥ずかしながら、PCさえいじったことがなかった。クラスで私だけだった。だからこそ、人よりも懸命に学習した。

  

あの男から逃げなければ、自分まで堕ちていく。生きていくだけのお給料をもらえるだけでもありがたい。半年が経とうとするとき、うまい具合に就職先が決まった。

 

最後の最後まで金をむしり取られないよう隠していたお金をもって、私は逃げた。教会の方にも手伝っていただき、安いアパートを借りた。

 

 

すでに30歳になっていた。

 

 

続く