leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

精神疾患 うつ病の分類の不透明性

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精神疾患は三種類に分類されるという。

①外因性精神疾患精神障害
外傷や疾患、薬物の影響などはっきりした理由で脳神経の働きが阻害され、精神症状がみられるもの。原因としては、脳挫傷感染症などが挙げられる。
 
心理的ストレスが原因で症状が出てくるもの。ストレス反応(急性ストレス障害心的外傷後ストレス障害PTSD))や適応障害などの神経症がある。
 
③内因性精神疾患精神障害
原因がはっきりしないのに精神症状が見られるもの。代表的なものとしては、統合失調症気分障害うつ病双極性障害)が挙げられ、この内因性精神疾患だけを指して精神疾患精神障害と定義する場合もあるとのこと。
 
 
私が、20歳前後の時には、精神科に通うこと自体、今以上に奇異な目で見られたため、人目に触れないように通院したものだ。私の場合は、親元にいる中で、突然呼吸が苦しくなったり、変な汗が出てきたり、震えが止まらなくなったり、何より希死念慮に駆られていたため、試しに、近くの心療内科に行ってみたのだが、その時の病名は「神経症」とのことだった。
デパスを服薬しなさいと渡されたものの、足の不自由な私にはとても飲めるものではなかった。まだ、杖をついて何とか歩いていたので、デパスを飲んだ翌日には、足がふらふらして全くもって歩けない、転んでしまうという有様だったのだ。
病院は試しに行ってみたものだったので、その後は自分で徹底的に精神医学、心理学等の本を読み漁った。当時は、まだ精神疾患の分類自体よくできておらず、私の症状もいかようにも取れるのが本を読んでわかった。また、親子のコミュニケーションどころか、親のレールに従うままだった私の場合、自分の意思がなかったので、なるべくしてなった病気だということもわかりつつ、何とか自分の力で治そう、例えばネガティブ思考や他人の顔色を伺って生きているために他人の評価を気にしてしまうこと等、本や認知行動療法で自ら変えられないかと思って必死だった。
 
家のスナックを手伝う傍ら、司法試験の勉強をしていたが、父が、私が21歳の時に突然死して、家族の関係がさらに悪化したことから、大学までは塾にも通わずとも合格できたものの、司法試験の勉強については、年中勃発する弟の家庭内暴力や妹が家に寄り付かずに男性宅に外泊して帰らない等、母がそんな問題を含めて私になんでも頼ることで集中できない、毎日、漠然とした不安と恐怖に苛まれながら、ホステスの手伝いをするのがやっとだった。
そんな中、母親の「死ね」「産まなきゃよかった」と私だけに言う(それは私が母の味方をしなければいけないという使命感のようなものだった)繰り返される罵詈雑言に耐えられなくり、私を好きになってくれた人とこの家から、母から、逃げるために家を出ようと決意し、母に「家を出ます」と話したところ、「相手の男が医者でもなければ弁護士でもない、みっともないから出ていけ!!」という言葉とともに、翌日にはごみ袋に私の全荷物が家の外に置かれており、私は勘当の身、戸籍も外され絶縁となった。
 
ところが、恋愛をまともにしてこなかった私が一緒に住むようになった男は、父と同じ働かない、ギャンブル好きの男だった。私は、逃げたくても、手に職もなく、相手の言う「頑張るから俺を信じてくれ、すまない」という言葉に5年近くも耐えるほどの大バカ者だった。その間に、私は、また精神的におかしくなっていく自分を感じ、近隣の精神病院に行ってみることにした。たまたま当たった医師が良くなかったのか、人の話を聞くというより説教ばかりで、パキシル等の強い薬を出すことの繰り返しで、診察と言えるものではなかった。
 
そこで、私は、一念発起して、精神科に通う前に、この男と別れなきゃならない、もはや情に流されてはならないと、仕事をするために職業訓練校に入った。その前までの私は、両足が不自由であるため、あなたは普通の会社では働けない、手に職を持つしかないと母親のみならず周囲の人間に言われ続けてきたため、私の場合は働けないのか、資格を持つ以外には...とずっと信じていた。時には、スナックで出会う大企業の社長や部長に愛人になってほしいと言われることもあった、社長たちが言うには、あなたの場合はそうやって生きていくしかないんだよと。在日でもあるし、ハンディが多すぎるからと。
 
しかし、一か八か、当たって砕けろ精神で、いじったこともないPCの勉強をし、6ヶ月後には、ありがたいことに就職先が決まった。
だが、病気なのか性格なのかは置いておいて、元来の自分を卑下し、人よりもできないからなおさら力を入れて頑張ることがかえって裏目に出て、またもや病院行きとなった。
それが、10年前までは無名に近かった難病「筋線維筋痛症」だ(今でこそ、レディーガガや某アナウンサーも患っている、患った病気として知名度は上がったが)。
関節や筋肉、腱など全身にわたり慢性的な激しい痛みが生じる病気であり、強い痛みに関連して、不眠やストレス、抑うつ状態を引き起こすこともある難病である。
現時点では確実に効果のある治療法がみつかっておらず、薬物療法や非薬物療法を含めた対症療法が主体になる。
その当時、たまたま内科で通っていた医師が、いち早く線維筋痛症の症状と似ていると察知してくれたおかげで、やはり強い薬ではあったが、精神安定剤がよく効くとのことで、通院することになった。そして、あなたの場合は、真面目で頑張りすぎる、そして人の目を気にし過ぎる、その性質を変えなければ、なかなか完治しないのではないかと言われた。この病気は本当に辛く、余りの全身の痛さに身体を動かせない私は、あっという間に寝たきりの状態になり、仕事も辞めるところまで追い詰められてしまうほどだった。そうはいっても、すでに、今の主人と出会って、一緒に切磋琢磨して生活していたので、私が辞めたことで、彼のこの先の不安は増すであろうことを考えると、すぐにでも痛みを押して働かなければならないと思った。その強い意志及び医師からもらった薬が効いてきたのか、私は奇跡的に薬を飲みながらでも、また働く場所を得て、無理してでも働くことができた。 数か月後、徐々にではあるが痛みも緩和され、全治したと思われたこと、アパートの引っ越しもあって、通院をやめた。
 
その時は、10年働くことになった3度目の職場で働いていたが、中にこれでもかというほどいじめる有名なお局様がいて、何人もうつ病でやめていった人がいるという話を同僚から聞く中、私も気が弱そうにみえるためか、早々と餌食になった。それはもう相手が悪魔に見えるほどのひどい仕打ちだった。精神はボロボロだった。
そんなことが毎日続いてか、またアパート近くのメンタルクリニックに行ってみることにした。診断名は、「気分変調症」と「身体化障害」とのこと。最初こそ、忠実に薬を飲んでいたが、毎度5分診療で終わり、1年経っても何も改善されない、質問をしても大した答えも返ってこない、それなら、自分で何とかしようとまた勉強を始めた。
このうつ病たるや、適応障害になってみたり、不安障害になってみたり、躁うつ病にもなってみたり、診断する精神科の医師でさえ、悩むところ、つまり漠然とした判断基準でもって病名が下されている気が勉強をすればするほど思えてきてならず、その境界線があいまいなため、極めて不可解になってきた。
そこで、私が試したのは、片っ端から、自分の身体を使って、あらゆる精神安定剤抗うつ剤を飲むこと。どれが適しているのか。SSRISNRIか三環系抗うつ薬四環抗うつ薬か洗いざらい試した。
 
 それは、信頼のできる医師が見つかり、数年前から通っている心療内科のその医師が、つまるところ線維筋痛症も「うつ病の一種」だと言ったところから、前もって全ての薬の勉強をした私は、それなら、この薬はうつ病で効くかどうか試させてくださいと直談判したのだ。私に知識があることを知っているせいもあって、先生は私の提示する薬をその都度、これはOK、これはうつ病でも認可が下りていないから待って等、指示をくださりながら、服薬をすべて許してくれた。
約4年ほどかかったが、ようやく自分に合う薬とともに、断薬もほぼ成功して、今は最低限しか飲んでいない。それも、漢方薬の方を主にしている。 
 
そこで、改めてここ最近調べてみたのだが、気分変調症なる私の病気は(以前数年通院していたメンタルクリニックは最後まで気分変調症ですと言い続けた、そして慢性のものだから治らないと)、SSRIジェイゾロフトが最も効くとされ、昔飲んでいたが、途中から一切効き目がなくなってしまったこと、レクサプロでも同様だった。となると、私の病名なんて、一時的なもので、何とでも精神疾患の病名をつけられること、実際今飲んでいるのは全身の痛み止め代わりとしてイフェクサーのみだ。本当は疼痛障害に効くサインバルタが良かったのだろうが、数日して余りの激しい腹痛に自分に合わないことを悟った。同じくトリプタノール等の三環系抗うつ薬も痛みに良いとされたが、腹痛がひどくて断念した。ただ一つ、四環抗うつ薬リフレックスイフェクサーとの相乗効果で体調が良いこともあって、1年ほど飲んでいたが、それも今では特段必要としなくなったのでやめた。
 
人体実験みたいにあらゆる薬を飲んできたのは、私の場合、治したいということもあったが、担当医が常日頃言うように、薬というものは底上げするには限界があり、結局は自分の生き方の方向性を変えるしかないということなのだ、多少無理をしてでも。薬をすべて飲みつくすのは危険な行為なので、もちろん医師の了解のもとにでなければならないが、最近の私は、転職活動中の身であっても、なぜか前向きで明るくなり、悲嘆にくれる毎日ではない。ケセラセラで何とかなると思っているし(今までも人生を悲観していたが結局は何とかやってきた)、やりたいこともできたので、以前のように生き急ぐというよりは、最後の職場にしたいためにじっくりと焦らないようにと心掛けながら、こうして生きていられることを嬉しくありがたく思っている。
 だからこそ、一日も早くコロナが終息し、大手を振って外に出かけ、大学及び大学院に行き、そして仕事も続けたい気持ちでいっぱいなのだ。 
 
 
人生、諦めなくてよかった、そしてこれからも諦めずに前を向いて歩いていきたい。