太宰治
中学生の頃、演劇部に所属していた時、「走れメロス」のメロスを演じたことがあったが、左記の力強い作品よりは、「人間失格」のような己の弱さをとことんさらけ出す作品の方が好きだった。どんなきれいごとを言ってもはじまらない、人間なんて皆醜くて弱い生き物だと語り掛けてくるようで、中学に入って間もない私ではあったが、なぜかこの主人公に親しみを感じていた。
話の展開からして、私自身を投影して読んでいたように思う。
「恥の多い生涯を送ってきました。」
主人公葉蔵は、幼少のころから、孤独の中で、人間の営みがわからない、人間が理解できない、他者と自分が違う感覚を持つことを自覚しながらも、どうすることもできず、発狂しそうになる。繊細で臆病な彼が、常に不安と恐怖を感じながらも生きるために選択した方法は、人間に愛されるためにわざと「道化」を演じるというものであった。そのため、彼は、周りから、優等生でありながら、愛嬌のある、ユーモアのある子として人気者になる。
中学生になって、同学年の「竹一」に自分の道化を見破られそうになり、葉蔵はひどく焦り、不安と恐怖におののく。その子を友人にすることによって、自分の知られたくない秘密を公にされることなく無事学生生活を終えていく。
高校に入り、悪友「堀木」に誘われるがままに、酒、たばこ、女、左翼思想へと、どっぷり浸るようになる。生活は見る見るうちに破綻していき、果ては、人妻との心中未遂事件まで起こすが、自分一人生き残る。
しかし、彼の退廃的な生活は変わらない。シングルマザーの女性やバーのマダム等、破壊的な女性関係へはまりこみ、絶望の淵へと立たされている中、純粋無垢な「ヨシ子」に出会う。葉蔵はこの子となら人間らしく生きられるかもしれないと、彼女と結婚し、一時の幸福を得る。
だが、彼女は出入りの商人に犯されてしまう。人を疑わない純粋さゆえに、他の男に犯されてしまう。
葉蔵はもはやこの世で生きる一切の希望を失った。アルコール、麻薬へとおぼれ、再び自殺未遂を起こす。やがて、彼は脳病院へと入院させられるはめになる。「狂人」としてのレッテルを貼られた彼は、自らを「人間、失格」と確信する。
はしがき、あとがきは第三者の視点で語られている。葉蔵を知るバーのマダムが、「神さまみたいないい子でした」と語り、小説は終わる。
私も恥の多い人生を送ってきた、そして、いい子ちゃんを演じる道化へと徹していた、また、人間が不可解、人間が怖い、生きる不安と恐怖ゆえに、現実逃避する生き方を選んだ時期もあった。退廃的な生活と言える時期もあった。
太宰の作品は暗いイメージに続き、彼自身の生涯とも合わせて、苦手な人も多いかと思われるが、私は、人間の弱さ、恥部、醜さを余すところなくさらけ出す彼の文章が、初めて彼の著書を手にした小・中学生時代から、共感できる部分が多く、好きだ。人間なんて皆似たり寄ったり、そして、葉蔵はまさしく自分でもあると確信している。
彼の弱さは優しさの裏返しであり、裕福とは言えども父親の教育ゆえか人間が理解できない、人の機嫌を損なうことなく道化を演じて孤独な自分をひた隠しにしながら生きる、しかし、生きることへの不安と恐怖は最後まで消えることはない。
「ただ、いっさいは過ぎていきます。」
人間的な魅力にあふれている太宰がなぜか自分に近しい者に感じ、愛読したものだった。