初心に戻って~高校生の頃の感想文コンクールにて賞を頂いた時の気持ちで
気力なく、好きな文章なのに、ブログからまた長いこと遠ざかっていた。
Twitterという楽な手段を覚えると、怖いものだ。
今日は、私が高校生の時にある新聞社の感想文コンクールで賞を頂いた、その感想文を原文のまま記載したい。あの頃から全く成長していない、ただ早熟だっただけのような気もするが、私はこうして今も生きている。その間、色々なことがあった。楽しいという感情が私には欠如しているせいか、悲しく辛い過去かもしれないが、生きるために必死であっという間だった。この感想文を載せることで、初心に戻りたい。
「生きることの意味」
生きることの喜び、生きることのすばらしさ、それが何なのか、はっきりとはつかめないまでも、ともかくこの一冊の本が私の心に一種の衝撃を与えたことに変わりはない。
戦時下の日本に生まれ、敗戦を迎えるまでのある一朝鮮人少年の生い立ち。父と兄に見守られる中で、つらい出来事が日々弟の金天三(キムチョンサム)を襲う。それは、一家の苦しみでもあった。
日韓併合の後、多くの朝鮮人が日本へ渡ってきた。強制的に連れて来られた人も少なくなかったという。また、母国語である朝鮮語を奪われ、創始改名も余儀なくされた。
私は、主人公の天三と違って、このことを小さい頃から幾度となく聞かされていた。なぜなら、私も在日朝鮮人の一人だから。
しかし、朝鮮人だと言われても、日本の土地で日本人に囲まれ、日本人と何一つ変わらない生活をしてきた私としては、どうもピンとこなかった。それは、天三も同じらしい。
彼の性格は、学校に通うようになってガラリと変わる。初めての外の世界で、彼は自分が「朝鮮人」だということを強く思い知らされるのだ。当時、朝鮮人がいかに貧しかったか。このことが彼を恐れさせ、言いしれない淋しさへと追い込んでゆく。だが、その心とは裏腹に、乱暴者へと変化していく天三。私には、彼の気持ちが手にとるようによくわかる。行き場のない心。父や兄にはうまく相談できず、一番聴いてもらいたい母が死んでしまった状況の中で幼い心の内を誰にぶつけることができただろうか。
「朝鮮人、ニンニクくさい!」小学生の頃に何度も言われた、彼も私も。在日朝鮮人の中のほとんどが耳にした言葉だと思う。彼は、その時のことを振り返って、暴力をふるうしか逃げ場がなかった自分を、臆病者だと言っている。確かに、暴力は決して正しい解決とは言えない。しかし、まがりなりにも、彼は一人で立ち向かっていった。私には、それができなかった。仲間がいた時は、何を言われても平気だった。ところが、事情があって朝鮮学校から日本学校へ移った時、私は言いしれない恐怖を覚えた。たった一人だけ、朝鮮人だということが怖くもあり、悲しくもあった。
しかし、思っていたよりも周りは親切だった。戦時下の日本の子供達に比べて、現代の子供達はあまり意識していないようだ。そこが、彼とは違って十分に救われたが、時には言われることもあった。「お前、朝鮮人なんだって?どうりで生意気な...。」おぼろげながら、先輩にこう言われたことを覚えている。
くやしくて、腹立たしくて...。それでいて、何も言い返せない自分が一番情けなかった。
朝鮮人ではなく日本人として、どんなに生まれたかったか。私の方が、よっぽど臆病だ。
死のうとする父、学校に行きたくても行けずに家を出て行った兄を通して、人が生きていくということを、改めて考える天三。その思いはつらく、淋しいものであったに違いない。私は、彼ほどのつらい経験はしていないが、同じ血の流れている民族として、痛いくらいによくわかる。私は主人公である天三を通して、自分を見ている気がした。
彼の一つ一つの行動が、自分のものであるような気がした。そして、胸が熱くなると同時に、涙があふれてきた。
阪井先生との出会い。そのことが、彼を大きく変えた。先生は、日本人であるとか、朝鮮人であるとかいう枠づけを越えて、人間らしい勇気と困難を乗り越えていく力を与えてくれたということでもある。人と人との出会い。大なり小なり、そこから学ぶことは大いにあると思う。彼にとっては、人のやさしさこそが生きる支えであり、力でもあった。
しかし、彼はこのまますくすくと育ったわけではない。太平洋戦争。人間の歴史上かつて見ることのできなほどの残虐で恐ろしい出来事。この戦争が、彼の心を麻痺させてしまう。彼は自分の心の安らぎを、死の中に求めていたのだ。敗戦という現実が彼を解放し、生きる不安の中で救いとなったものは、父の存在だった。彼の父も、また一人の朝鮮人として生き抜くことで、人間のやさしさを教えてくれたのである。
私は今改めて、このやさしさについて考える。そこで思うに、私は人のやさしさをあたりまえのように受けながら、その結果、やさしさを身をもって感じなくなってしまったのではないか、と。朝鮮人だから、そして障害者だからとどこか投げやりで、また自分自身に甘えていたのではないか、と。だが、朝鮮人だろうと障害者だろうと何も恐れることはない。私が私であることに変わりないのだ。
生きることの喜びを、一人の朝鮮人として、一人の障害者として、一人の人間として、大声で言える時が来るようにせいいっぱい生き抜こう。そう、この本が私に教えてくれた。
※ 在日朝鮮人~私は、その後思うところがあって、祖国である韓国籍に切り替えた(20代の頃)。
改めて数十年ぶりに読み返すと、文章のレベル感が今と変わっていない。これを書いたのが高校1年から2年にかけてだったと思う。学校の課題だった。稚拙な文章で、今と変わりないとなれば、お恥ずかしいが、でもあの頃の私はまだ甘ちゃんだった。当然のことながら、その後の人生の方が困難の連続であり、壮絶でもあった。
死ぬ間際でいいから。「私は生まれてきてよかった!生きていてよかった!」と言えるようになりたいものだ。
Twitterの功罪
久々にブログを書く。書くことはたくさんあるのに、書く気力がない。そんな日々の中、気分転換に...標題について書いてみよう。
私は、ブログと同時に、Twitterも併行して行っている。
1.Twitterのメリット
①簡単に情報収集、情報発信ができる。
②共通の趣味を持った人との出会いがある。
③交流の幅が広がる
2.Twitterのデメリット
①簡単な情報収集・取得の中には、誤ったものや攻撃的・誹謗中傷等も含まれ、不愉快な思いをする。
②共通の趣味を持つ人々が増える一方で、顔が見えないために、人間関係のストレスも増す。
②自分の自由時間が削減される。
こうしてみると、なんだ!デメリットばかりで、いっそのことやらない方がいいではないか!!と思ってしまうのは至極当然のことのように思われる。
では、なぜ、私は、半ば迷いながらも、Twitterを続けているのか?結局、独りの時間を楽しむことの方が好き、一匹狼だと言いながら、ふと寂しくなる時がある、そんなときにつぶやいて、同意してくれる、反応してくれる、意見してくれる人がいることで、ほんの少し寂しさから解放されるとでも言おうか。ギリギリの選択で、結局、やめずにいるのである。現実の生活において、友人を作っては、傷つき、傷つけられ、自分から関係を全て絶ってきた代償として、私には友人といえる人は1人しかいない。もちろんそれで十分である。ただ、彼女とも頻繁に会えるわけでなく(互いに障害を持っているゆえ)、私よりなにぶん彼女は忙しい身。すぐに飛んで行って話せる身体ではないところから、ふと寂しさを覚えるときに、Twitterを利用する。しかし、これにハマるのも一方で怖い。依存症と変わらない中毒性を持っていると思うからだ。
時間の配分の下手な私は、転職し、大学院への勉強が始まったら、必然的にツイートする機会も減るであろうと踏んでいるが、それでもダメなら、PCは部屋には置かないようにしようと決めている。スマホがあるじゃないか!私は、時代に逆行して、あえて数年前に、ガラケーに戻しているので(これも自分の意志が弱いためにした決断)、大丈夫。
本当は、ブログだけの方がよいのだろうなと思ってはいる。自分の日々の記録。生きた記録として残るもの。しかし、人間とは弱いもの、簡単で楽な方に逃げたがる。よって、Twitterで簡単につぶやくという日々が多くなってしまっている。
私が、今回、短い期間ながらも、Twitterを始めて思ったことは、顔が見えないがゆえに、友達幻想を抱いてしまいそうになるが、果たしてどこまで本物といえるのか疑問であり、怖くもある。もちろん、生涯の友人ができないとも限らない、だが、一方で、裏では何を言われているかわからない嫌な思いも経験している私としては、ちょっと疑心暗鬼になっている。また、私は、相手への礼儀を重んじるあまり、いいね!やしばらく音沙汰のない人にDMを出したりするものの、ただ繋がっているだけでいい人もいるようで、相互フォローしたものの、一度も、あるいは、ほとんど会話を交わしたことがなく、自分の発信だけにこだわっている人をみると、これでよかったのか?、逆に、フォローしあわない方がお互いのためだったのではないかとフォローしたこと自体を申し訳なく思ったりしてしまう。まあ、ここまで考えてしまうぐらいなら、Twitterをやらない方が身のためのような気がするが...。
転職と学業、この二つが始まるまで、もう少しだけ、つぶやいてみる日があってもいいと思う。それ以降は、ケセラセラ。なるようになるさ。
K-POP界の厳しさ
音楽好きの私が、邦楽、洋楽、K-POP等様々なジャンルを聴く中で、K-POP界を見るに、売れてから生き残るすべての過程において、他の国よりも非常に厳しい試練の連続だということを感じる。
もちろん、自分が芸能界に属したことがないのに何がわかるのかと言われれば、その通り、あくまで、自身が読んだ韓国アーティストのインタビュー記事や日韓アーティストの比較をするジャーナリストの記事、または雑誌や書籍等を通じてなので、本当のところは本人にしかわからないところではあるが、それでも、韓国の音楽番組、特にサバイバル番組を観ると、無慈悲な容赦ない闘いを強いられていると思う。
韓国は、日本を上回る学歴社会であるが、それでも就職ができない現状下にある。芸能界も同じで、練習生として何年もの下積み生活を経ても、デビューを約束されているわけではない、お金はもらえずバイトをしながら、毎日練習練習の繰り返し。結果を出さなければすべて終わり。技術力は当然のこと、常に他者との順位争い、朝早くから夜遅くまで続く日々の絶え間ない歌やダンスのトレーニング、欧米や日本を見据えての語学及びマナーの学習、それに加わり、容姿も大事な要素としてのジムトレーニング。まさしく自分自身との闘いでもある。毎日毎日延々と続くレッスン、語学学習、食事制限等の自己管理。そしてこれらは月末に行われる事務所の個人評価に成績として響く。
その中で、生き残って、いざデビュー。当然のことながら、売れるとは限らない、実力があったとしても。結局は世間の評価次第。
最近では、その世間の評価をあえて先にTV番組にて表に出し、売れる下地を作るかのごとく、専らサバイバル番組にて生き残った者をデビューさせるという流れが多いが、過程が大事なのではない、結果がすべて、一般投票や審査員の投票という結果にて最終的には決まってしまう。
若い頃から、世界で活躍することを目標にしてきている韓国の練習生は、プロ意識が高い。練習模様を特集した番組を何度も観たことがあるが、トレーナーに付いて、必死に練習する彼らの求められるレベルの高さと本人のデビューを果たす意志の強さがひしひしと画面を観ている我々にも伝わってくる。
近頃、日本から、あるいは各国から、韓国に練習生として渡韓する若者が増えている。手が届きそうなアイドル、身近なアイドルという日本のスタンスとは違い(日本はそこがまた親近感がありよかったりするのかもしれない)、あくまでプロフェッショナルな世界でも通用する音楽のできる人を事務所側も求めているように思う。そういう意味では、歌もダンスも圧倒的にレベルが高いとしか言いようがない。総じて未熟なままでも歌、ダンス、容姿がそこそこであればOKなのと世界をまたにかける活躍を目指すからこそ完璧に仕上げてからのデビューとの違いとでも言おうか。それだけ、過酷な練習を積んできた努力の賜物であろう。いつも、番組を観ては、若くしてこのすごさ!と恐れ入るばかりである。
つい先日、「KINGDOM」というこれまたデビューをすでに果たしているグループ間での頂上決戦をめぐるサバイバル番組が放映され、王座が決まった。最初から最後まで目を離せないほどの彼らの真剣勝負、目に見えないところでの努力が垣間見えるからこそ、感動もひとしおであった。最初の回で、大して印象に残らなかったグループも、最後では、どのグループが勝ってもおかしくないと思えるほどの成長ぶり!本当に驚いた。底力をみせるとはこういうことかと思い知った。正直、どのグループも私にとってはファンではなく、さほど興味もなく観た番組であったが、最後は全グループのファンになってしまったほどだった。
何よりすごいのは、誰が勝っても相手に敬意を表し、自分のことのように(当然悔しさはあろう)一緒に喜ぶ各々のグループたちのその態度だ。後輩が先輩を敬う姿勢はどこでも見かけることかもしれないが、場を和ませるためにあえて笑いを誘うことを言う、ないしは後輩のパフォーマンスを観て素直に賛辞を述べる先輩の細かい気遣い等、最後の回の素敵な映像には、自然と涙があふれた。
そして、どのグループも最高じゃないか!泣かせてくれるよ!と画面を観ながら、叫んでいた私であった!!
頑張っている人々の姿はとても美しく素敵だ。
子供を産むということ
小さい頃から生き急いでいると周りに言われている私、冷静沈着、集中力が高いと思われているが内心不安で落ち着かない私は、現状、仕事をしたくても未だ(失業保険はまだ1年近く出るが)働いていないで転職活動中の身であることに、ブログをどんどん書く気も失せ、また体調も思わしくなく、ここ数週間お休みしていた。
そんな私に、嬉しい知らせが来た。私のことではない。義理の姉だ。なんとこの10か月間ご両親にも弟である主人にも連絡なく(決して仲の悪い家族ではない、温かい家族だと傍から見ても思うほど)、子供が生まれたというではないか。男の子。名前も決めたとのこと。もう何と言ったらいいか、自分のことのように嬉しい!頻繁に顔を合わせるわけでもなく、さして仲良しというほどの交流もないのだが、嬉しくて仕方がないのだ。主人の姉は私と同じ40代であり(私より4つ年下)、初産。ただ、主人が難病の筋ジストロフィー(父母の遺伝子による影響が強い)ゆえに、お姉さんも子供を産むことに多少なりとも躊躇があったのではないかと推測される。
私は、結婚時に主人との話し合いで子供を産まないことを決めた。元々子供好きではない私、しかも自分がされたことと同じことを子供にしてしまうかもしれない不安に駆られていた私としては、子供を産むことが怖かった。主人は、子供好きではあるが、自分の身体がままならなくなるであろうこれからを考えると、子供の世話はしてやれない、それどころか逆に子供に負担をかけてしまうのでは嫌だということで、きっぱり諦めると言った。二人の意見は一致した。それが10年以上前の話。
義理の姉は、すでに20代で結婚していたものの、子供はいなかった。義兄の親戚に相当子供のことで嫌味を言われ続けていたらしい。あまり多くを語らない義姉なので、今回子供を出産したことも、妊活なるものをしていたのか、それとも遺伝のことが頭をよぎりながらも最終的に産むことを決意した結果なのかはわからない。理由はどうであれ、生命の誕生を素直に喜びたいと思う。
その一方で、私は、急に主人に申し訳なくなり、悲しみを覚えた。ああ、私が健康だったら、少なくとも子供の世話を深く考えずに子供を欲しがったかもしれない、結婚相手も障害者であり、なおかつ子供を望んでいない、その理由となる背景を知っている彼に「子供がほしい」という言葉を言わさせなかっただけではないかと。
子宮が痛みだした。
男性は頭で考えて、女性は子宮で考える。
そんなもの、私とは無関係だと思っていた。しかし、初めて、その比喩表現の意味がわかった気がした。頭で考えるより子宮で気持ちを受け止め、悲しみを溜めている。私も、女なんだなあと、涙がこぼれた。
後悔はしていない。私は、子供を育てることが未だに怖く、また子供が家庭を築く上で必須だとも思っていない。子孫繁栄とか、子供を産むのが立派な女の役目だとか、古めかしい言葉も馬鹿げていると思っている。
しかし、好きになった男性の子供を産まないことが自分にとっては問題がなくとも、相手の立場になって考えたときに、子宮が痛んだ、今もそうだ。ごめんねと身体が代わりに泣いているようで、私は悲しくなった。
主人は言った。俺たちには俺たちなりの生き方があるよと。そう、時に喧嘩し、離婚話まで持ち出したり、もう終わりかとも思ったりすることもあるのだが、やはり私には主人がいてこそここまでやってこられた、生きてこられたのだなあとしみじみ思うのだ。
価値観が違うのは当たり前、でも歩み寄って、いやある意味、見て見ないふりをしているところもあるというのが正解か。それでも、一緒にいるのは、やはりお互いかけがえのない存在なのだろう。子供はいなくとも、やはり私にとって主人は出会うべくして出会った人なのだろう。
ごめんね、ありがとう、ひろ。
私の人と変わっているところ その2 生活スタイル編
生活スタイルというと大げさだが、まあ、私を知っている人が聞いたら、びっくりする、ミヨンちゃん(もしくは美蓮ちゃん)、そんなふうに見えないのに!と驚かれるようなことだ。
①私は、貧乏を強調するわけではないが、小さい頃、父方の祖母宅にはお風呂がなく、銭湯通いだった、どんなときも2日に1度の割合と決まっていた(夏だろうと冬だろうと)。その後、事故で入院することとなった10歳の時、お風呂に入れないため、基本、整式といって、温かいタオルで身体を拭くのみの行為を数か月強いられた後、病院のお風呂は週2回まで。つまり、3日おき。それに慣れていた私は、家に帰って、受験時代に、自分に課した制裁(何のためにその制裁を課したかは忘れた)として、1週間お風呂に入れずに我慢できるかを試した。見事成功(こんなことを成功と言っていいのか)した。単なる不潔にすぎないが。
私は、元来肌が弱く、アトピー体質であるので、見た目だけで、医師が「李さんは綺麗好きだからいけないのよ、頭も体も頻繁に洗わなくてもいいの!」と言うのだが、「いえ、私は、お風呂嫌いというか、入らなくても平気なので、別に頻繁に入っていません」と言うと、どの皮膚科に行っても信じてもらえない。
見た目なんて、当てにはならないいい証拠だ。身ぎれいにしているだけで、そう思われるのだから。
②私は、小さい頃から、トイレが近かった。にもかかわらず、勉強や仕事に熱中すると、一日一度もトイレに行かないなんてことがめずらしくない。それで、周りの人間が、「ねえ、李さんてトイレ行かないよね、休憩しないよね、お昼休憩もとってないよね」と言われることもしばしば。これは何の自慢にもならない、会社の規則にも反しているし、自分の身体にもよくないことなので、本当に直さなくてはならないと思っている。とにかく、集中すると、席から離れない傾向が強すぎて、上役から注意を受ける。要領が悪いがゆえに、人より頑張ってしまう結果がこれだ。
③寝るときにパジャマを着るのが自然だろうが、私は普段着(例えばTシャツとジーパン等)を着て寝る癖がある。それは、自分が身体が不自由なため、地震や事件等何か起こった時にいつでも逃げられるようにと、なぜか身構えてそのような格好を学生時代からするようになってしまい、今でもパジャマを着るとなると、何となく落ち着かない。
④おしゃれが好きな私だが、決してどこかの有名ブランドのものを常に買っているわけではない。それどころか、ウインドウショッピングが嫌いな私は、専ら通販で買う主義。そして、ここと決めた会社でしか洋服は揃えないのだが、それは、あちこちで買うと、私の場合、散財してしまうのがわかるから。値段も年齢的に言えば、さほど高いものとも言えない、にもかかわらず、美容とメイクが好きなためにそこに力を入れているせいか、例えば1万円のワンピースを3-4万円するものと勘違いされる。そこで、あえて言わなくてもいいのに、「これは通販で買った1万のワンピースです」と必ず弁明する。素直にありがとうと言えばいいのに。
これも、見た目に騙されているだけのこと、そういえば主人も私に出会った頃、綺麗好きであり、洋服でもいいものを買う目利きだと勘違いしたと後で言っていた。こんなことはしょっちゅうだ。見た目など当てにはならないのである。
⑤私は、整理整頓が苦手だ。汚れていると俄然、仕事もプライベートもテンションが上がってやる気になる。しかし、世間では、整理整頓のできない奴は仕事ができないとのこと、当たらずとも遠からず。どうもきれいな中で何かを成し遂げるのが非常に落ち着かない。周りにしてみれば、汚い方が見ていて不愉快であろう。この私を見て、主人はADHDでは?と疑っているが、果たしてどうだろう、それを言ったら、いきなり怒りだす人は発達障害、浪費癖は躁うつ病などと定義づけるのと変わらないような気もするのだが。医師に今度聞いてみよう。
要するに、私は、見た目は清潔そうで、どんなことにも神経質に見えるが、けっしてそうではない、性格的には神経質だが、部屋はそれを物語ってはいないし、清潔でなく、そう見えるように繕っているだけ、そして、みんなの第一印象が、李さんはお嬢様育ちに見えて、クラシックを聴くと思っていたとか、クールでお笑いなんて興味がないと思っていたとか、美しいことを言ってくれるが、全て逆である!クラシックどころかハードロック・ヘヴィメタルが私が音楽を聴くきっかけを作った大事な要素であるし、プロレス?なんて言われるが、そのプロレスこそ、私の若かりし頃の活力でもあったし、馬鹿を言って騒ぐのも決して嫌いではない人間だ。自分で、物まねやギャグを言って主人を笑わすことも多い。本当のお前を知ったら、面白くて驚くだろうなあと主人はいつも残念がっている。
第一印象が大事というが、私はこの第一印象で相当損をしてきた。少なくとも、私は、相手を観るとき、その印象で相手に偏見を持つことだけをやめようと努めている。私が最も良い例だから!
私の人と変わっていると思われるところ
ここ1週間ほど、気分が乗らず、ブログから遠ざかっていた。すると、書きたくてうずうずするかと思いきや、私の場合は、日を重ねるにつれて書きたくなくなる。三日坊主、熱しやすく冷めやすいと分析する自分自身、しかし、ブログの一つぐらいは長続きさせよう(少なくとも今、仕事をしていて、大学も併行しているわけではないし)と、いつもより堅苦しくない題材で書いてみることにした。
細かいところで、人と変わっている!!と驚かれるところを箇条書きにしてみた。趣味と嗜好の問題なので、面白い奴だなあと思って読んでほしい。
① 食べ物、例えば揚げ物や寿司、サラダ等誰もがかけるであろうと思われる調味料(ソース、醤油、マヨネーズ、ケチャップなど)は一切使わずに、そのままの状態で食べる主義だ。小さいときからそうだった。これは別に貧乏とは関係ない。
② 皆、食べ物は新鮮なものを当然食べたいと思われるが、私は腐りかけたものでも好きだし、平気で食べてしまう。貧乏で育ったからなのか、食に気を遣わなすぎる面があるのかもしれない。まず、賞味期限切れ1週間ぐらいはもったいないので、色や味が変わってなければ食べるのは当然のこと。おいしい、まずいという感覚はあれど、食べられれば、いやお腹を満たせば十分という人間だ。この4-5年、朝昼は全く同じものしか食べていない。朝は豆乳、ヨーグルト、プルーンのみ、お昼はゼリー飲料のみ。この食生活スタイル一切変えていない。来月からは、面倒なので、朝も、他社のゼリー飲料にする計画だ。
③将来、夕飯を、果物だけにしたい計画を立てている。現状、主人が元シェフなので、おいしい食事をいただいているものの、正直それがなくても私はかまわない。主人の身体を考えればいずれは夕飯は私が作ることになろう。その時、私が実行したいのが、果物、しかもリンゴを丸ごと1個食べて終わりにすること。しかも、私は、多くの人と変わってシャキシャキしたリンゴより、フカフカしたリンゴ、もはやその食感が好きな人でなければ買わないであろうものをが好きだったりするので、安くて好都合である。
④最近でこそ、お水を買うということをしなくもないが、私は基本的に、トイレの手洗いの水やお風呂から出る水も平気で飲む。というのも、貧乏している者は昔は平気で飲んでいたものだ。確かに、買ってみたら、数段おいしかった。だからといって、もはやトイレやお風呂や台所の水が飲めないなんてことはない、今でも飲む。
⑤お菓子をご飯代わりにしてしまう癖がある。小さい頃からやっていた悪い癖だが、別に何でも食べられればそれでいいという観念があるため、今でもたまにやってしまうことがある。胃が弱い私がそんなことをするのは、当然胃がもたれるのはわかっているし、身体にもよくないので、最近は気を付けるようにはなったが。
食に関しては、本当に興味がないのだ。あればいい、なければなんとかなる、そんな感覚で贅沢などせずに育ってきたため、それ以上でも以下でもない。だた、グルテンフリーに気を遣う姿勢は出てきた。胃腸が弱い、食べた後何だか胃がもたれて吐き戻したりすることもしばしば、かと言って、病院で胃腸の精密検査をしても引っかからない。そこで、グルテンが原因では?と思え、今まで実験してきたのだった。結果、確かにグルテンなしだと具合が悪いこともなくなり、身体も楽だった。元々、私が好きなものがパスタやうどんであるため、小麦粉関係排除のためにも、果物やゼリー飲料、野菜ジュースに徹底するのは私自身は胃の負担がなく、よいではないか!すべての食材において、グルテンフリーのものを選ぶなら、それは市販の物よりは高値になってしまう。そこまでお金をかけたくない私には上記程度の食べ物で十分だと勝手に思っている。
食にかけるお金は私の好きな美容・コスメ、洋服、そして今後は大学のお金に消えるであろう。
次回は生活スタイルで変わったところを書いてみようかな。神経質そうに見えてずぼらなところがわかるので、私を知っている人にはえっ!そんな一面が!!と思えて面白いかもしれない。あんまり、細部までは書けないが...お恥ずかしいので。
精神疾患 うつ病の分類の不透明性
精神疾患は三種類に分類されるという。