leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

子供を産むということ

            

                   

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小さい頃から生き急いでいると周りに言われている私、冷静沈着、集中力が高いと思われているが内心不安で落ち着かない私は、現状、仕事をしたくても未だ(失業保険はまだ1年近く出るが)働いていないで転職活動中の身であることに、ブログをどんどん書く気も失せ、また体調も思わしくなく、ここ数週間お休みしていた。

 

そんな私に、嬉しい知らせが来た。私のことではない。義理の姉だ。なんとこの10か月間ご両親にも弟である主人にも連絡なく(決して仲の悪い家族ではない、温かい家族だと傍から見ても思うほど)、子供が生まれたというではないか。男の子。名前も決めたとのこと。もう何と言ったらいいか、自分のことのように嬉しい!頻繁に顔を合わせるわけでもなく、さして仲良しというほどの交流もないのだが、嬉しくて仕方がないのだ。主人の姉は私と同じ40代であり(私より4つ年下)、初産。ただ、主人が難病の筋ジストロフィー(父母の遺伝子による影響が強い)ゆえに、お姉さんも子供を産むことに多少なりとも躊躇があったのではないかと推測される。

 

私は、結婚時に主人との話し合いで子供を産まないことを決めた。元々子供好きではない私、しかも自分がされたことと同じことを子供にしてしまうかもしれない不安に駆られていた私としては、子供を産むことが怖かった。主人は、子供好きではあるが、自分の身体がままならなくなるであろうこれからを考えると、子供の世話はしてやれない、それどころか逆に子供に負担をかけてしまうのでは嫌だということで、きっぱり諦めると言った。二人の意見は一致した。それが10年以上前の話。

 

義理の姉は、すでに20代で結婚していたものの、子供はいなかった。義兄の親戚に相当子供のことで嫌味を言われ続けていたらしい。あまり多くを語らない義姉なので、今回子供を出産したことも、妊活なるものをしていたのか、それとも遺伝のことが頭をよぎりながらも最終的に産むことを決意した結果なのかはわからない。理由はどうであれ、生命の誕生を素直に喜びたいと思う。

 

その一方で、私は、急に主人に申し訳なくなり、悲しみを覚えた。ああ、私が健康だったら、少なくとも子供の世話を深く考えずに子供を欲しがったかもしれない、結婚相手も障害者であり、なおかつ子供を望んでいない、その理由となる背景を知っている彼に「子供がほしい」という言葉を言わさせなかっただけではないかと。

子宮が痛みだした。

男性は頭で考えて、女性は子宮で考える。

そんなもの、私とは無関係だと思っていた。しかし、初めて、その比喩表現の意味がわかった気がした。頭で考えるより子宮で気持ちを受け止め、悲しみを溜めている。私も、女なんだなあと、涙がこぼれた。

後悔はしていない。私は、子供を育てることが未だに怖く、また子供が家庭を築く上で必須だとも思っていない。子孫繁栄とか、子供を産むのが立派な女の役目だとか、古めかしい言葉も馬鹿げていると思っている。

しかし、好きになった男性の子供を産まないことが自分にとっては問題がなくとも、相手の立場になって考えたときに、子宮が痛んだ、今もそうだ。ごめんねと身体が代わりに泣いているようで、私は悲しくなった。

 

主人は言った。俺たちには俺たちなりの生き方があるよと。そう、時に喧嘩し、離婚話まで持ち出したり、もう終わりかとも思ったりすることもあるのだが、やはり私には主人がいてこそここまでやってこられた、生きてこられたのだなあとしみじみ思うのだ。

価値観が違うのは当たり前、でも歩み寄って、いやある意味、見て見ないふりをしているところもあるというのが正解か。それでも、一緒にいるのは、やはりお互いかけがえのない存在なのだろう。子供はいなくとも、やはり私にとって主人は出会うべくして出会った人なのだろう。

 

ごめんね、ありがとう、ひろ。