leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

白馬の王子様

           f:id:leemiyeon:20210502225449j:plain

 

 

世には、「白馬の王子様症候群」なる言葉があるらしい。

とするなら、私は、まさしく、年齢を重ねた今も、いつか王子様が目の前に現れるかもしれないと密かな期待を抱く「白馬の王子様症候群」にあたるだろう。

 

なに?結婚して素敵な旦那様に会えたのではないか?と知人や友人が私に疑問を抱くかもしれないが、元々私には幼少期から結婚願望はなく、事実婚だろうが、同棲であろうが、パートナーや恋人で一生を終えてもいいという考えを持っていた人間だ。それは、自分の両親を目の当たりにして、結婚に対する期待・希望など、いつの間にか薄れてしまったから。

じゃあ、なぜ結婚したの?と言われれば、それは、私が男というわけではないが、難病の主人の両親に同棲生活では申し訳なく、またクリスチャンの仲間に籍を入れて、互いに安心した形で手に手を取り合って生きていった方がいいと言われたため、責任を果たさなければならない、中途半端にするといつでも彼の難病ゆえに私が逃げると思われるかもしれないと考えたからだ。元来、私は、人に尽くすタイプだ。そのおかげで、主人の前に付き合っていた男性には悉く裏切られ、悲惨な目に遭ったが...。

男で言うなら、責任感とでも言おうか。もちろん、主人を愛しているし、一生添い遂げようという気持ちはある。しかし、人間に絶対はない。主人が、もしくは私に何が起きるかわからない。彼に好きな人が、あるいは私に好きな人が仮にできるとも限らないし、金の切れ目が縁の切れ目もある、また、重度の病気を私がした場合に、彼には背負いきれないであろう。だから、身軽な方がいいと思っていた。とはいえ、結果的に、結婚した。

 

そんな私でも、キャリアウーマンとして働きたい、恋愛は二の次と考えていた幼少期から、白馬の王子様の幻想はなぜかずっと抱き続けていて、未だに消えることがない。結婚願望のない私にも、それを翻すだけの包容力のある安心して自分をゆだねることができる男性が現れるのではないか?と密かに思っている節がある。

 

こう書くと、今の主人はどうなの?と思うかもしれないが、私は専ら守られるより守る、尽くされるより尽くすタイプのため、正直守ってあげたいという男性に幾度となく出会っても、結果守られたことがない、主人の場合は、身体のこともあるため、互いに協力して生きているというのが現状だ。そんな中で、幾度も言われた、寂しそうな顔を時に見せる私を守ってあげたいという男性の言葉を思い出しながら、そういう人と一緒になっていたら?という一種の幻想を抱き続けている自分がどこかにいるのかもしれない、つまり、自分には全く違う人生、シンデレラのような人生が待っているのかもしれないという幻想をやめられない自分がどこかにいるわけだ、精神的には子供のままなのであろう。

 

映画や小説に出てくるような燃え上がる、そして人もうらやむような人生、これ以上何を望むというのかというほど、幸福に見える人生も、果たして結末はわからない。結局、人間というものは、隣の芝生は青く見える生き物である。

 

でも、せめて好きなアーティストに、白馬の王子様を重ねさせてくれ。

ごめんね、ひろ、欲深い私を許してね(主人に承諾済み)。

 

 

宮部みゆき「火車」

中高生の頃、赤川次郎ライトノベルは、友達に借りたりもして一時はまっていた頃もあったが、本格的に現代ミステリー小説なるものを手にとったのは、20代に読んだ宮部みゆきの「火車」が初めてだった。

 

1990年代、クレジットカードが普及してまだ間もない頃、カード破産や多重債務について、それほど世間で知識を備えている人がいなかったように思う。

 

休職中の刑事・本間は、銀行員の従弟から、失踪した婚約者・関谷彰子を探してほしいと言われ、彼女の行方を捜すことになる。従弟である和也の話では、彰子にクレジットカードの作成をすすめたところ、審査段階で自己破産経験者だとわかった。その真偽を確かめる間もないまま、彼女は失踪してしまう。

捜査に乗り出した本間は、彼女が過去に勤めていた会社、自己破産手続きを行った弁護士を訪ねる。すると、関根彰子という名前は同じでも、勤め先での彰子と、弁護士が会った彰子は、容姿や性格が全く違うことを知る。つまり、この二人は別人であり、何らかの方法で「関根彰子」たる人物になりすまして生きている女性がいたのだ。

本物の彰子はどこにいるのか?そして、成りすました女性は一体何者なのか?

 

本間が調査を進めていく中で、浮かび上がる一人の女性、新城喬子。彼女は、父親の遺した借金(住宅ローン)ゆえに、一家離散、取り立て屋に苦しめられ、売春等を強要され、地獄のような生活から逃げる日々を送っていた。平凡な幸せをつかむために、自分と境遇の似ている人物を、勤め先で取得した個人情報をもとに探し出したのが、関根彰子であったのだ。喬子は彰子を殺し、戸籍を乗っ取る。そして、和也と知り合い、婚姻にまで至ろうとした矢先、実は、殺した彰子も、自分と同じ多重債務者であることを知る。借金ゆえに逃げてきた彼女が成りすました女性もまた借金で苦しむカード破産者であった、皮肉にも。

 

私は、この小説を読んだときに、殺人行為はもちろんあってはならぬが、なぜか新城喬子(関根彰子に成りすました女性)を憎めなかった。彼女のあまりにも不幸な境遇、凄惨な人生、カード社会に潜む闇、そのすべてを彼女の責任にすることができなかった。

 

 

「ただ幸せになりたかっただけなのに」

火車」の中で、本物の関谷彰子が破産手続きに際し弁護士に言う言葉。印象深くて、今でも忘れられない。これは、新城喬子の心の声でもなかろうか。

 

 

当時の私も辛い人生を送っていたせいか、未だに身に染みる言葉であり、誰もがそうなりたいとは願ってもなれない人生もあるのだということを、考えてしまうときがある。

 

 

三島由紀夫

 

            f:id:leemiyeon:20210429001200j:plain

 



三島由紀夫の作品については、中高生の国語の教科書に「金閣寺」が載っていることが多いと思われるが、私が、初めて中学1年で手にしたときの作品も上記の「金閣寺」であった。

美という固定観念にとらわれた主人公の狂気な行為は、当時の私には衝撃的であり、なぜそのような行動に至ったのか、深く考えさせられた内容であった。

生来の吃音というコンプレックスから、周囲にからかわれ、他人との間に壁を作り、孤独の中で生きる主人公溝口は、自分が美しいものから疎外されていると感じていた。僧侶の父親から金閣寺ほどこの世に美しいものはないと聞かされて育った彼は、その後金閣寺へと修行に出る。彼にとって、その後の人生はより孤独を増す。女性と関係を持とうとしても、金閣の幻想が現れ、邪魔をする。そして、友人鶴川の死、老師との確執を経て、彼は「金閣を焼かねばならぬ」と決意する。常に、彼の頭を、心を支配する金閣は、コンプレックスを抱く美への憎悪の対象であると同時に、生的な美よりも美しい、最上の、絶対的な美を表すものでもあった。その金閣を放火することで、世界を変える、すなわち自分の人生も変わるという信念。燃える金閣を前に、美しい金閣寺を永遠のものにした彼(彼の心象の中における永遠性)は、「生きよう」と決意する。

 

三島由紀夫の作品は読めば読むほど難しい。解釈が幾通りも考えられ、私自身、作者が何を伝えたかったのか、思い悩んでしまうところがある。

 

他に「仮面の告白」や「潮騒」「近代能楽集」「豊饒の海」等読んできたが、硬質で精緻な文章に、これでもかというぐらい難解な用語が出てくるたため、彼の天才的な文章力には毎度感服せざるを得ないのだが、一方で、お前に私が理解できるかというような突き放した冷たさを感じさせる文章でもあり、私は、どうしても好きになれなかった。

 

しかし、三島由紀夫の人生は興味深く、幼年期から詩を書く天才少年、戦後の自国への憂慮、虚弱体質からのボディビルによる肉体改造、楯の会結束、市ヶ谷駐屯地における割腹自決は、高校生になって彼の小説の背景を知ろうと、自分で調べて、勉強した記憶がある。

彼の考える日本の古き良き時代、愛国主義とでもいおうか、その大和魂は、憲法改正自衛隊論、日米安保核武装天皇論、特攻隊等々にも自身の見解が述べられているが、戦前の強い日本、美しい日本と比べ、戦後の日本が、三島からは軟弱な国に見えたのであろう、自決の道を、そして割腹自決を選択した彼に、三島なりの美意識が見える。

 

共感はできないが、彼が自国を憂え、愛してやまなかったという理解は示したい。

 

 

谷崎潤一郎

            f:id:leemiyeon:20210426223603j:plain

 

 

私は、谷崎潤一郎の作品については、読むのを躊躇していた。それは、耽美派と言われながらも、彼の小説がマゾヒズムの体を擁していると知っていたため、小中学生の私には読む気がしなかったのだ。

 

中学1年の時だったか、教室の本棚の片隅に「痴人の愛」が置かれていた。嫌だ嫌だと思いながらも、心の底では興味があったのだろう、ポンと置かれていたその小説を手に取って、病室に持って帰って読んでみた。

正直、驚いた。内容は、確かに、マゾヒズム、エロティシズムが全面に出ているものの、文章が非常に美しいため、変ないやらしさを感じさせない、主人公の女性ナオミの圧倒的な魅力、その強さと美しさ、そして彼女を崇拝する男性たち、一つの小説としては十二分に面白く、中学生の私でも一気に読んでしまうほどだった。

その後、「刺青」「春琴抄」「鍵」等、彼の作品を次々に読んでいった。ただ、「細雪」だけは、代表作の一つではあるものの、どうしてもなじめなかった。この作品なら、私は、太宰治の「斜陽」の方が好きだというのが正直な感想だ。

 

女性崇拝、美意識の高い谷崎潤一郎においては、「文章読本」や「陰翳礼讃」の随筆も有名であるが(ほかに川端康成三島由紀夫等の文章読本もあり)、私としては、左記3人の作家の中では、谷崎潤一郎のものが一番読みやすく、参考になったのを憶えている。

 

食わず嫌いのままでいたら、一生読まなかったかもしれない彼の作品、やはり何事も手に取ってみないと、トライしてみないと、わからないものだ。

 

 

感動がとまらない

       www.youtube.com

 

 

K-POPが好きになって、5年余り。たまたま観たTV番組をきっかけに好きになったのが、「2PM」だった。

彼らがデビューしたての頃だったか、私が勤めていた会社の広報部から、商品のコラボで2PMが参画するとのことで、在日の私に「2PMを知ってる?」と聞かれたことがあったが、2010年当時の私は全くK-POPに興味などなく、せいぜい東方神起が有名であることぐらいしか知らなかった。今思えば、もうすでにこの頃2PMはスターダムを駆け上がり、大旋風を巻き起こしていたのだろう、もっと早く出会いたかったという想いが募る。しかし、その5年後に、遅まきながらも、彼らにこうして出会うことができたのだから、私は幸せ者だ!

 

人生の各ステージにおいて、音楽、好きなアーティストがいるということは、その時の生きる活力にもなり、また癒しにもなり...大袈裟でもなんでもなく、明日への原動力につながることは間違いないと思っている、少なくとも自分の場合は。

 

小学生の頃から中学生にかけては洋楽のポップス系、中学生から20代にかけてはハードロック・ヘヴィメタル一筋、30代にかけては関ジャニ∞、中でも渋谷すばる、そして、40代からK-POPへ。

苦しいとき、辛いとき、そこには歌があった。もちろん、趣味である読書に癒されたことも事実だが、歌の影響力も読書に勝るとも劣らず大きな力があった。

 

他の音楽への傾倒はまた別の機会に書くとして、2PMが好きな理由は、それぞれに個性を持ち合わせながら、6人が互いを尊敬し信頼しあっていることが、歌にもダンスにもにじみ出ていること。誰かが出過ぎる、目立とうとするのでなく、6人の個性の調和がうまくステージにも出ていること、その姿を見ていると、感動がほとばしり、私自身のテンションも高くなり、同じ映像でありながら、何回も、何十回も再生してしまうほど。彼らの音楽を聴く時、ノリの良さと口ずさみやすいその歌詞に魅せられ、MVにて彼らのパフォーマンスに魅せられ、バラエティやライブ映像にて彼ら6人の団結力、絆の強さに魅せられ、その都度感動を覚える私である。

 

人間、男女関係なく、好きな人がいると、心躍らせる自分が輝き、綺麗に見え、他人からも嬉しい褒め言葉をかけてもらうことはないだろうか?それと同じで、好きなアーティストがいるときも、自身が輝いて、内面外面双方に美しく見える、私は、応援しているアーティストが頑張っている、私も彼らに恥じぬよう、美しくありたいので、自分を磨き、努力しようと思えるのである。これは、年齢に関係なく、気持ちの問題だ。

 

今日、4年ぶりに(韓国の場合徴兵制があるため、6人全員が軍除隊するのにこの年月がかかった)、2PMメンバー全員がそろった姿を動画で観て、私は、嬉しさで歓喜の声を上げ、始終微笑み、最後には、感動のあまり、涙が止まらず、今でも思い出しては泣けてくる有様だ。そんな自分の感情が、愛おしくもある。人を好きになるということは素敵なことだ(主人への愛情とは別の意味で)。

 

大好きな2PM!いつもありがとう。完全体でのカムバック、あなたたちの素敵な歌声、パフォーマンスを再び観られる日を心待ちにしています!

 

感動がとまらない!!

 

 

夏目漱石

          f:id:leemiyeon:20210423010317j:plain

 

 

 

日本の小学校に転校して、入院先で芥川龍之介太宰治等を毎日のように図書室から借りて読んでいた私だが、軽快なテンポで読みやすいことは認めるが(「坊ちゃん」「吾輩は猫である」など)、どうして、夏目漱石、この人が近代文学の中で文豪と呼ばれるのか、いまいち私にはピンと来なかった。ユーモアがあるが、負けん気の強い頑固おやじの感が否めない彼の作品にあまり良いイメージがなかったという先入観もあったかもしれない。

 

ある時、中学生か高校生だったか、国語の教科書で「こころ」を読んだ。授業では、明治天皇崩御と乃木大将の殉死を契機として生まれた作品であり、徹底した自己否定を貫き、他者と自己を同時に傷つけるエゴイズムの限界を見極めた主人公は、大正という新しい時代を迎えて「明治の精神」に殉死するというもの。そんな背景があるということを教わった。

 

奥の深い作品であることを改めて知った私は、漱石の本を「こころ」を始め、「三四郎 」「それから」「門」の三部作他全作読み直した。人間の孤独とエゴを追い求めていく中で、漱石の苦悩が晩年に従っていくにつれ、作品の中にもにじみ出ている気がした。

 

彼は、「私の個人主義」という作品で「自己本位」を説き、晩年には「則天去私」の思想に至ったとされるが、この二つは相反するようではあるが、漱石にとって、両者の考え方とも重要な視点であり、コインの裏表のような関係であるこの思想を作品に生かすべく、非常に苦悩したのではないかと私には思われてならない。

 

人間のエゴイズムを追及した彼の作品集は、大人になるにしたがって重みを増し、読み返すたびに自分の深層にある利己的部分を掘り起こされるようで、ばつが悪く、そして、罪の意識に苛まれるのである。

 

とにもかくにも、夏目漱石の作品が大衆にとって読みやすいことは認める。

 

薬物依存症

f:id:leemiyeon:20210421232002j:plain

 

 

題名でいきなりこんなことを書くと、この人は危ない人だと思われそうだが、実際私の症状はかなり危険なものだと医者からお墨付きまで(?)出ている。いや、もはや医者から見放されていると言った方がいい。

 

小学校の事故で入院した10歳の頃からほぼ半年近く、私は、点滴だらけで寝たきりの生活を強いられたため、片頭痛なるものが頻繁に生じるようになり、食べられずに吐いてばかりいた。かといって、頭痛薬もそう飲むものではないということで、治るまでひたすら痛みを我慢しなければならなかった。それでなくとも、両足の下半身麻痺のために、点滴以外にもたくさんの薬を飲んでいたのだから、医者からすればもうこれ以上薬はあげられないということだったのかもしれない。

身体が動かないことの痛み、つらさに加え、点滴を毎日何本もうち、注射も打ち、血液も取られ、頭痛もひどく、食欲もない。3か月で足はやせ細り、体重もかなり減り、歩いていたとは思えない身体になっていた。

 

それは、さておき、この頭痛との付き合いが、入院したころから始まり、小中高校生までは、自身にお金がなく、親に言ったところで買ってももらえないので、急激に襲ってくる痛みと吐き気に耐えながら、何とか学生時代を過ごした。

 

20歳前後、両足が不自由なりにも、大学のお金を工面すべく、バイトをし、その後、家のスナックのホステスの手伝いをする中で、どんどんストレスが溜まっていったせいだろうか、頭痛の頻度が月1-2度だったものが、週2-3へと増え、バイト代でバファリンを親に内緒で買うようになった。

それから、20年、もはや、このバファリンを手放せなくなってしまった。

週2-3は今から思えばまだかわいいものだ、今は毎日、ワンシート、すなわち2錠を計5回は最低でも飲むようになってしまったのだ。

 

それには、親と断絶してから、勉強ばかりしてきた私がいきなり遅まきながら社会人になり、罵詈雑言の中でも必死に会社に喰らいついてきて、当然のことながらストレスもあり、それを解消できない、不器用な私の身体に痛み(頭痛)となって現れる、そこで、予兆を感じれば、すぐにでも飲んでしまう(飲む際の回数や時間を置くことなどお構いなく)傾向にあったため、どんどんエスカレートしてしまったわけである。

働いている間に、筋線維筋痛症なる難病(全身にリュウマチのような激痛が走る病気だが、原因不明の難病とされている)の発症もあってか、病院からもらう薬だけでは決して簡単には治る病ではないことから、所かまわず、バファリンを常用していたことも良くなかったのはわかっている。

 

その後、折をみては、病院の頭痛外来や内科、心療内科等受診したものの、こんなに大量にバファリンを飲む人を見たことがない、全国でもあなたぐらいではないか、あなたの場合、事故による原因不明の下半身麻痺や繊維筋痛症で安定剤等を飲んでいることもあるし、手の施しようがない、もはや薬物中毒であって、専門の自立機関に行くしかないのでは?と匙を投げられるばかりで、結果、どの病院に通院しても効果はなかった。

時すでに遅しらしい。「薬物乱用頭痛」であることは、自身でも勉強して、わかっているのだが、20年続けてきたために、止めようとすると、頭痛発生の際、嘔吐やめまい等でおかしくなり、必ず救急車に運ばれる。よって、もはや治らないものとしてあきらめている。

 

心療内科のかかりつけ医に言われたことは、苦笑いしながら、「早死にすることは間違いない、体にいいわけがないのだから、だが、心筋梗塞にはならないだろうな、これだけ飲んでいれば」と。もちろん、その病院でも、漢方薬や代替薬で色々試したのだが、結果は効果なしだったのだ。結局は、強い意志をもって、やめるように持っていくべきなのだろうが、20年の過剰な摂取から若干減らしたと思っても、仕事によるストレス、嫌な出来事があると緊張して薬に手が出てしまう。そうしないと、また救急車送りになってしまうということで、悪のスパイラルから抜け出せない。

 

あと、何年生きられるかわからない。たくさんの病気を抱えているから、覚悟はしている。しかし、ここまで生きてこられたことは、感謝でしかない。10歳で死ぬはずだった私が数十年生かされたのだから。

だからこそ、最後は、恩返しのつもりで、世の中の弱者に少しでも寄り添いたいのだ。

 

神さま、もう数年生かさせてくださいと願うばかりである。