伊是名夏子♿︎コラムニスト JRで車いすは乗車拒否されましたのブログを読んで
JRで車いすユーザー乗車拒否にあいました。「階段しかない駅なので案内はできない」と。今の時代でも悲しいかな、よくあること。バリアフリーって全然進んでいない、むしろ無人駅が増え後退してる。味方が必要なので、長いですが、どうか読んでください、シェアしてください。https://t.co/0yvaje4eaS pic.twitter.com/XjkSTNxnPh
— 伊是名夏子♿︎コラムニスト (@izenanatsuko) 2021年4月4日
Twitterを読んでいたら、「#伊是名夏子さんを支持します」が話題になっていたので、彼女のブログを読んでみた。
「JRで車いすは乗車拒否されました」というタイトルで躍起になっている人もいるが、
言葉のチョイスは今は置いておいて、要は無人駅のため車いすの乗り降りを手助けする駅員がいないので対応できないとの最初の回答がありながら、押し問答の中、実際には駅員が4人体制で待機し、対応してくれたとのこと。
彼女の疑問として、
・どうして急に熱海駅の対応が変わったのか
・駅長Dさんは丁寧だったけれども、車いすへの対応をしたことがないようで、まったくわかっておらず、私が質問したら、それを調べ、対応してくれる形だった。
車いすユーザーは利用者に入っていないのか。
障害者や高齢者のことを想定して、問題提起し、この状況を変えていかなければならないと思ったのであろう。
Twitterやブログを読んだ方の中では、乗車拒否じゃなくて無人駅で人手がないのだから仕方のない事態なのにクレームをつけるなとか、文句ではなくまずは対応してくれたことに感謝だろとか...批判的な意見が多く見られたことは至極残念で、中傷ともとれる内容もあったことには心が痛んだ。
私としては、いくつかあった意見同様、やはり事前の入念な準備はある程度(自身が車いすのため、どこかに行く場合、電話で行き先が障害者対応になっているか等十分すぎるほどの質問をするのは必須だと思っている)必要だったかと思われる。すべての場所がバリアフリーではないのが現実なのだから。
しかし、それ以外、何も彼女に問題はないのではないか。
彼女が押し問答の中、新聞社と連絡を取り取材に来てもらった件だが、これについても、新聞社という媒体で知り合いがいるのなら、使用して、問題提起していくのも、私はありだと思っている。まあ、私の場合は、そういう知り合いがいないので、公共機関でも嫌な思いをしたことの方が圧倒的に多いのだが...。
今回、JR側が報道されるとまずいと思って、本来無人で対応できないのに、4人体制で待っていたのか、それとも、彼女のためを思って急いで駅員を集めたのか、それはわからない。だが、彼女が「ありがとうございます」と感謝したのかしていなのかは文章に書いていないだけで、その場にいた人にしかわからないことではないか。
推測が推測を呼ぶ。怖いなあと思う。何が?荒んだ人間の心が...。
言葉は暴力にもなりうる。その結果、相手が病んだり、死を招くこともある。だからこそ、言葉を発するとき、相手の立場に立って思いやりの気持ちを忘れることなく、発言しようと自分では心がけている。それでも、誤解されることもあり、傷つけ、傷つけられることの繰り返しを私も経験してきた。
文章を書く、発言をする、思いやりと感謝の念だけは忘れずにしようと改めて自分を戒める。
そして、上記のタグをきっかけに知った伊是名夏子さんのブログを最初から一通り読んで、私は、彼女の勇気ある生き方と幸せな笑顔にすっかりファンになってしまったことを一つの収穫とし、Twitterでの嫌悪感を抱く発言をスルーすることに決めた。彼女の方がよっぱど私よりしっかりしていて、大人だ。何より輝いていて、素敵な女性がそこにいた。
今の私にできること
今の私にできること
私には、長い間目標や夢がなかった。
それは親に決められたレールだけがすべてであり、意見を言ったところで気に入られなければ却下されることの繰り返しのため、親の言いなり、その果ては、自分で考えて決めるという行為が最も苦手になってしまったのであった。自分が何をしたらいいかわからないのだ。
すでに、私も、もう人生の折り返し地点に来ていると言える。
いつも考えていた。私は、何がしたい?どうしたらいい?年だけとって、このまま人生は終わるのか。空しい。でも、何十年経っても何がしたいかわからない...。
このコロナ禍で、仕事をしていても(現在、離職中)、リモートワークを強いられ、ストレスとともに精神的にも荒んでいく自分が嫌で、何か身近でできることをしてみようと、人生初のTwitterやブログをここ最近始めた。文章を書くことが元来好きな私は、気分転換と同時に自分の生きている記録を残せるようで楽しくなってきた。ストレスも随分軽減されたように思う。
他の人々のブログやTwitterを読んでいると、自分よりも厳しい状況下で生きている人がたくさんいることに改めて気づかされる。そして、文章でもって励ましや応援をする自分、祈る自分ではあるが、無力さを知る。
小さい頃から本好きの私で、文学、哲学、心理学等に常日頃から興味があり、実を言うと大学専攻の法学より、一般教養の方が楽しかった記憶がある。特に、心に闇を抱えている自分が、どうしてそうなったのかを知るために、心理学はフロイト、ユング、アドラー等、参考になる文献は、学生時代たくさん読んだ。
そんな自分を思い出して、ふと放送大学のHPに目が止まった。単位を満たせば認定心理士の資格取得、そして大学院の修士全科性+1年以上の実務経験にて臨床心理士の受験資格を取得できると。車いすの私が実務採用されるかは別として、少なくとも認定心理士の勉強から始めたいと思ったのだ。無力な私でも、病んでいる人、生きるのが辛い人の役に立てたら本望だ。
転職活動の身であるため、年内に再就職をして、必ずや大学及び大学院に入る!まずは、認定心理士の資格取得から始める!
折り返し地点に来た今、学びたいことができて、生きる意欲が湧き、そして、毎日が楽しい。俄然やる気が出てくると人間こんなに変わるものかと自分でも驚いている。
学びたいことに年齢は関係ない。よし、学ぶことはたくさんあるぞ!!
by Udemy
芥川龍之介について
芥川龍之介を知ったのは、日本学校に転校した小学5年生のとき。
道徳の時間だったろうか。「蜘蛛の糸」を読んだときの強烈なインパクト。こんな短い小説の中で、人間の本質をうまく描いた作品だなと子供心に驚きと感動を隠せなかった。
それから、彼の小説は一番最初に全部読破した。彼は、短編小説の神様だと私は思っている。天才の才能を余すところなく学識豊かなところが垣間見える文章、無駄のない理知的な文章、それはそれは魅了されてやまない作家であった。
「藪の中」でみられる人間の利己的な姿、「羅生門」で描かれている人間のエゴイズム、「鼻」での人間の醜い深層心理、「地獄変」では芸術至上主義の要素が強い作品であるがその結末はやはり衝撃的で人を魅了し、晩年の「河童」「歯車」「侏儒の言葉」における人間社会への痛烈な批判や風刺をした作品等。
しかし、晩年の作品を読むにしたがって、彼が自殺へと踏み出すであろうことを予見させるような作品であることを肌で感じながら、芥川自身が「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と遺書に残したことを知り、厭世的な作品に何故か吸い込まれるものがあった。
私は、彼のような天才的な作家でもなんでもない、しがない一人の人間に過ぎないが、私も彼の作品を読んだ時期には人生に悲観し、生きているのが嫌だったせいか、吸い込まれるように、死への道を考えなかったわけではない。ただ、私には勇気がなく、また幻聴のごとく「お前みたいな人間が死んだって地位も名誉も何もないのに誰が悲しむというのか」、そんな言葉が聞こえてきて、生きることにただしがみついていた若かりし日であった。
小学5年で芥川龍之介という素晴らしい作家に出会えたことは、当時の私には誇らしかった。その後、太宰治、夏目漱石と好きな作家は増えていくことになるが、20代は純文学ばかり(海外も含め)読み漁る日々だった。知識も恋愛も人生の教訓も、人間より本から得たものの方が多い。当時、読書感想を途中までノートに書いていたが、今のようにブログがあったら、毎日upして、記録として残していただろう。便利な時代だが、途中でやめてしまった自分が悪いのだから仕方ない。
太宰治や夏目漱石等、純文学が人より多いかもしれないが、彼らの魅力について、またの機会に書きたいと思う。
※突然、芥川について書きたくなったのは、今日の出来事で「藪の中」を思い起こさせる事件に自分が遭遇したからだ。ふと彼の人間の洞察力に、大人になった今、改めて感服した次第である。
馴れ合いの怖さ―感謝を忘れずに―
私は結婚して13年になる。
主人は、筋ジストロフィーという難病を抱えて必死に生きている。出会った頃は、まだ歩けたが、いまでは手足の力がほとんどなくなり、寝たきりの状態が多い。それでも、プログラミングの仕事を武器に、バイト扱いではあるが、ぎりぎり仕事を続けている。
私も両足が麻痺していて、精神的にも闇を抱えている。
よく周りから聞かれること。「どうして、美蓮ちゃん、わざわざ障害のある人と結婚したの?」と。今まで生きてきて、健常者からの告白やアプローチはそれなりにあったし、ときめいたことがなかったかと言えばうそになるだろう。
しかし、私は主人を選んだ(いや、今思えば私が選んでもらったのだ)。付き合ってから結婚するまで、主人は言い続けた。君はこの病気を知らないから、かわいそうで未だそばにいてくれるんだろうけど、僕の口から結婚なんてとてもでないけど言えない、お願いだから逃げてくれと。私は、それでも、あなたと一緒に生きていくと伝えた。結婚という形に正直縛られなくてもいいと思う私ではあったが(結婚に期待を抱いていない私は事実婚でも構わないと思っていた)、主人の両親を安心させてあげたかった。
13年、共に働いて働いて働きづくめの日々だった。その中で、確実に彼の体が衰えていく中、バリアフリーの家が必要ということになり、私は少しでも楽な方向でと、借金をせず、一括で土地と家を購入した。これは、主人の金銭管理のおかげで家が建ったものである。元来、私は浪費型の人間であるから。
彼がいなければ、これほど仕事に精を出すこともなく、生きてこなかったろう。頑張っては来なかった私かもしれないが、少なくとも働く上での原動力は彼であった。彼のおかげで全うに社会人生活を送れたのは事実である。もちろん、今離職中の私であるが、できる限り、これからも働きたいと思っている。
こう書くと、美談に聞こえるかもしれないが、13年にもなれば、激しい喧嘩の1つ、2つは当然あって、それは、いつもお金のこと、金銭感覚の違い、価値観の違いということになろうか。結局は、すべて私が悪い。金銭感覚について注意されると、自分の収入が自分のためだけでなく、彼のためにも使われていることを、恩着せがましく言ってしまう、最低最悪の攻撃をする醜い私なのだ。
結婚して13年。馴れ合いに甘んじてはいけない。夫婦でも、夫婦だからこそ、感謝の気持ちを忘れずに。こんなに私のことを思って、大事にしてくれる人はいないのだから。少々頑固おやじの域に入ってきたが、初心忘るべからずで、大好きな彼と仲良く、楽しく、残りの人生を生きられることを第一に考えながら、これからは、私自身も自分を大事にしつつ、少しでも社会に貢献すべく、「自分ができること」を折り返し地点に来た残り少ない(?)人生でやってみたい。
神さま、至らない私ではありますが、生きている人のために、病んでいる人のために、苦しんでいる人のために、生きるのが辛い人のために、私を用いてください。
生きること、死ぬこと
遠藤周作の本(随筆)の中で、大御所の作家に「40代になったら、人生の集大成をしないとならんが、君はどうだね」と尋ねられて、自分の人生を振り返っている場面がある。
私は、10歳の事故で死を覚悟し、奇跡的に助かったが、障害者になった。
しかし、母親が引いた人生のレールである司法試験の勉強しか許されない、いやそれが当たり前であり、家族を喜ばせる唯一の方法であるために、愛されるために必死だった私には、自分の人生を生きたというにはあまりにも恥ずかしい経験しかない。青春も恋愛も家にいた25まで経験がなく、精神が壊れてしまったがゆえに、この家から必死に逃げたものの、その後の自分の人生をどう生きるか、何をしたいかという考えが浮かぶ余裕などあるはずもなく、ただ、生きるために、職業訓練校に入って、障害者(車いす)でも勤められる唯一の道である一般事務に就いて、必死に毎日働くだけであった。
夢や希望などと言うことは、弁護士になれしか言われたことがなかった私には、もはや思い浮かばない、自分の意見や意思を押し殺して、親の言いなりになったまま大人になってしまったためかもはや家を出たときには自分が何をしていいのかわからない。それ以上に、自分が障害者であるという現実を考えると、職は限られているため、勉強しかしてこなかった私には、事務仕事しかなかった。
その中で、つらかったことは思い浮かんでも、楽しかったことは何一つ浮かんでこない。幼少の頃から、人の顔色を伺って生きるのが日常のため、自分が楽しいのではなく、人を喜ばせるための発言や行動ばかりしてきたから。
親から離れて独立したら、自分の人生を取り戻すんだ、そう思っていたが、うまくいかなかった。小さい頃から支配されてきた母親の金、地位、名誉、学歴がすべてという教育観念に縛られて、もはや自分は負け組だという思いと激しい劣等感、そして相も変わらず、へりくだって生きて、人に気を遣い過ぎて自分が疲れてしまい、果てには人間関係が崩れていくと自分から職を辞すということを何回か繰り返してきた人生だった。
心理学、哲学等の書物、カウンセリング、心療内科での投薬、認知療法等、何をやっても、根本は変わらずこの年まで生きてきてしまった。自分は何をしているのだろう、同じ負のスパイラルの中で苦しみ、それでもまだ生きている。楽になりたい。でも、ここで死ぬわけにはいかない。そんな自問自答を何百回も繰り返してきた。
私も折り返し地点に来ていると言ってもいい。
人間関係が原因で3月にまた職を辞したのだが、最近ブログを始めて、一つ目標ができた。今度、就職したら(もちろん長く、定年まで働けるところであることを視野に入れて)、放送大学で、臨床心理の勉強をし、資格をとって、生きることに悩んでいる人々の力になりたいこと。残りの人生は微力ながら、悩める人々、生きるのが辛くて苦しい人々の支えになれれば本望だ。もちろん、実務経験1年以上なくては、臨床心理士にはなれないので、私に実務を許してくれる企業や学校がこの体であるかわからないが、認定心理士の資格だけはとるべく、大学に入ろうと思う。もちろん、仕事をしながらの勉強であるが、やりたいことができたことは私にとっては活力になるだろうから、大変でも死ぬまでには成し遂げたい。
神さま、両足の下半身麻痺以外にもいろんな病気を持っている私ではありますが、何とかここまで生かされてきました。充実した人生とは言えませんでした。自分のやりたいことも、夢も目標もありませんでしたから、決して一生懸命に生きているとは言えなかった、結局は惰性で生きていたに等しいからです。どうか、この認定心理士の資格取得、願わくば臨床心理士になり、少しでも人の役に立てますように、お導きください。
惰性で生きてきた私の数十年の人生ではありましたが、今後の残された人生は神と人々のために生きる者とさせられますように。
それまでは、死ねない。
男の美学?
上記のBTSのインタビュー記事を読んで、ああ、BTSほど世界的に飛躍してしまうと、人気のあるうちに解散を選択することも真剣に考えるだろうなあと思いながら、今ブログを書いている。
アーティストでもスポーツ選手でも、自分の絶頂期に終着点を設け有終の美を飾る人、一方では、たとえ絶頂期を過ぎて以前ほどの活躍を見せられくても体力の続く限り自身のアーティストや選手としての姿を最後の最後まで全うする人、もちろんそれすら選択できずに辞めざるを得ない人々もいるだろう。
記事の中では、安全な地点で着陸したいと言いつつも、観客が5万人から2000人に減ったとしても、ステージにいたいと締めくくっている。
ファン心理としては、絶頂期からいずれ停滞期を迎えたとしても、彼らの歌声が聴ける限り、どんな形であろうとも応援したい人が多いのではないだろうか。そんな姿を観たくない人もいるかもしれないが、私は少なくとも、有望な新人が輩出されてやまない中でのいずれやってくるかもしれない人気低迷や本人たちの年齢、体力等のことがあっても、己の全身全霊を込めて、すべてをさらけ出して歌い上げるステージは美しく、我々にとってはその瞬間瞬間が宝物であろう。
おやじ世代、おじいちゃん世代のアーティスト、かっこいいじゃないか。ボン・ジョヴィを見てみろ、ザ・ローリング・ストーンズを見てみろってね☠
私は、自分の好きな2PMやVIXX、MONSTA X等が40,50,60代を迎えても、歌い続けてくれる姿を想像しつつ、年輪を重ねた大人の魅力のある歌唱力を披露してくれるであろうことを期待してやまない。
人間嫌いなのか、はたまた人間が好きなのか
私は、小さい頃から、人の顔色を伺いながら、生きてきた。親の顔色、周囲の顔色、各々の顔色を見ながら、気に入られるような回答をいつもしてきた。いわば、自分の考えなどない、道化のようなものだった。その結果、10人中1人でも私に反対、いやな態度をする人間がいると、その人のことが気になって仕方なかった。何か自分が悪いことを言ってしまったのでは?相手の気持ちにそぐわないことを言ったのでは?とやきもきしていた。こんなことを数十年繰り返してきたのだから、疲れるに決まっている。
私にもわかっている。10人のうち1人、私を嫌いな人がいても、好きでいてくれる9人を見るべきであり、大切にするべきであること。
しかし、それができない。できないがゆえに、人間関係を築くのが私にとってどれだけしんどいことか...。
とかく、皆に好かれようと頑張る私は、道化に徹する、あえておどけてみせたり、ギャグを連発したりして、本来の自分と違う自分を演じる。そして、沈黙が嫌いな私は(沈黙は決して悪いことでも何でもないのだが)、その空気に耐えられずに、一生懸命に相手の気に入るような話題を探して話す。
だから、一見、私をおしゃべり好きな明るい人と見る人が結構多い。だが、長く付き合っている人には、私が無理をしていることが、頑張りすぎていることが、わかるようだ。
また、皆と仲良くしたいと思うばかりに、自分に近づいてきてくれた相手が好印象だった場合、必要以上に色々と自分の境遇等を話して、墓穴を掘ったりする。自分では仲良くしたいために話していたことが、相手にとっては負担だったのか後で悪口に使われたり、相手との関係が何かの事情でこじれて傷つけられたときに(もちろん自分が傷つけることもあるだろう)、また人間関係に失敗、ないしは裏切られた思いがして、人間関係構築にもはや自信がない。その後の相手との連絡は、すぐに絶つ、会社の場合には自分が退く(退職の道を選ぶ)、友達だと思っていた人に対しては連絡先の消去、自分から二度と連絡することはない、それは、自分が傷つけられることも、または相手を傷つけることも防ぐための私にとっての究極の防御策なのだ。よって、自然と友人と言えるものは周りにはもはやいないに等しい。
同じことの繰り返しを何十回となくやっても、懲りない。いや、もう無理するのはやめようと思っても、最初の入り口は頑張ってしまう。そして、またもや失敗。関係は修復不可能にまで至ってしまう。
長い間、私は、人間嫌いだと思ってきた、しかし、親にも愛されたことがない私の人間が好きになりたいことの裏返しなのか...最近、そう思えるようにもなってきた。人間への信頼に希望を捨てきれない私がいるのではと。
そう思った方が気が楽だからかもしれない。
次の就職先で、どうなるかはわからない。また、同じことを繰り返すだろう。人間関係構築が下手であっても、いいではないか。ありのままの自分を受け入れるしかない。一人でいる方が楽、一匹狼である私ではあるが。
※以下は人間嫌いと思うゆえに、10数年前に片っ端からよく読んでいた中島義道の著書数冊をあげたもの。