leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

人間嫌いなのか、はたまた人間が好きなのか

私は、小さい頃から、人の顔色を伺いながら、生きてきた。親の顔色、周囲の顔色、各々の顔色を見ながら、気に入られるような回答をいつもしてきた。いわば、自分の考えなどない、道化のようなものだった。その結果、10人中1人でも私に反対、いやな態度をする人間がいると、その人のことが気になって仕方なかった。何か自分が悪いことを言ってしまったのでは?相手の気持ちにそぐわないことを言ったのでは?とやきもきしていた。こんなことを数十年繰り返してきたのだから、疲れるに決まっている。

私にもわかっている。10人のうち1人、私を嫌いな人がいても、好きでいてくれる9人を見るべきであり、大切にするべきであること。

しかし、それができない。できないがゆえに、人間関係を築くのが私にとってどれだけしんどいことか...。

 

とかく、皆に好かれようと頑張る私は、道化に徹する、あえておどけてみせたり、ギャグを連発したりして、本来の自分と違う自分を演じる。そして、沈黙が嫌いな私は(沈黙は決して悪いことでも何でもないのだが)、その空気に耐えられずに、一生懸命に相手の気に入るような話題を探して話す。

だから、一見、私をおしゃべり好きな明るい人と見る人が結構多い。だが、長く付き合っている人には、私が無理をしていることが、頑張りすぎていることが、わかるようだ。

 

また、皆と仲良くしたいと思うばかりに、自分に近づいてきてくれた相手が好印象だった場合、必要以上に色々と自分の境遇等を話して、墓穴を掘ったりする。自分では仲良くしたいために話していたことが、相手にとっては負担だったのか後で悪口に使われたり、相手との関係が何かの事情でこじれて傷つけられたときに(もちろん自分が傷つけることもあるだろう)、また人間関係に失敗、ないしは裏切られた思いがして、人間関係構築にもはや自信がない。その後の相手との連絡は、すぐに絶つ、会社の場合には自分が退く(退職の道を選ぶ)、友達だと思っていた人に対しては連絡先の消去、自分から二度と連絡することはない、それは、自分が傷つけられることも、または相手を傷つけることも防ぐための私にとっての究極の防御策なのだ。よって、自然と友人と言えるものは周りにはもはやいないに等しい。

同じことの繰り返しを何十回となくやっても、懲りない。いや、もう無理するのはやめようと思っても、最初の入り口は頑張ってしまう。そして、またもや失敗。関係は修復不可能にまで至ってしまう。

 

長い間、私は、人間嫌いだと思ってきた、しかし、親にも愛されたことがない私の人間が好きになりたいことの裏返しなのか...最近、そう思えるようにもなってきた。人間への信頼に希望を捨てきれない私がいるのではと。

そう思った方が気が楽だからかもしれない。

次の就職先で、どうなるかはわからない。また、同じことを繰り返すだろう。人間関係構築が下手であっても、いいではないか。ありのままの自分を受け入れるしかない。一人でいる方が楽、一匹狼である私ではあるが。

 

※以下は人間嫌いと思うゆえに、10数年前に片っ端からよく読んでいた中島義道の著書数冊をあげたもの。

 

 

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