leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

読書について

私が本をよく読むようになったのは、事故で入院生活を強いられてからだから、10歳の頃である。朝鮮学校へ通っていた私は、日本学校の編入もあり、日本の歴史を学んでいないこともあり、手あたり次第に読んだ。古典文学が主だったせいか、今でも芥川龍之介太宰治夏目漱石等は好きである。また、海外の古典文学、特に岩波文庫が好きな私は、図書館から借りられるだけ全部借りて読んだ次第である。意外だったのは、ドストエフスキートルストイより、フランスのスタンダールカミュ、ドイツのゲーテカフカ等の方が自分としては感情移入しやすく、貪りながら読んだ記憶がある。

古典文学には強いが、現代文学となると、好き嫌いがあって、たくさんは読んでいないかもしれない。クリスチャンのせいか、遠藤周作三浦綾子は今でも大好きな作家だが、とかく硬い文章が好きなせいか、高橋和巳とか武田泰淳を好んで読んでいたのももう20年前の話だ。山本周五郎大岡昇平もよく読んでいたっけ。

 

今思うに、私の場合、幼少のころから本が好きで、たくさん読んできましたという割には、ブログに書評を書かれている人と違って、血となり肉となっていない、つまり身についていない読み方をしてきた、表面的に読みましたで終わっていただけのような気がして、恥ずかしい思いがこみ上げてくるということだ。本を大事に読むというよりは、次から次へと貪るように読んで、心を満たしていく、思考にふける、そして、また次の本を探すという繰り返しだったような気がする。

 

「趣味が読書です」ということが、申し訳なくなってきた今日この頃である。

 

そんな私だが、一番好きな小説は遠藤周作の「沈黙」である。クリスチャンであるとかないとか、先入観なしに読んでいただきたい1冊。

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日本と韓国の狭間で

小さい頃からの純粋な疑問なのだが、どうして日本と韓国は仲良くできないのか?

 

事故にあうまでの小学校高学年まで、民族学校に通っていたが、「朝鮮人、ニンニクくさい、国に帰れ」と近隣の日本学校の学生からよくなじられたものだ。

事故で病院へ入院したときも、「チョンは怖い~」とか編入した日本学校の上級生がご丁寧にも「バカチョンの意味知ってる?お前たち朝鮮人のことだよ」とか、まあ差別的発言をこれぞとばかりに浴びせられたものだった。だからこそ、負けるもんかというハングリー精神は人一倍強くなっていったわけだが...(先日、書いたブログで、完治することなく退院して実家に住むようになってから、その負けん気の強さも精神の破壊とともに消え失せていったので偉そうには言えない ※9年の浪人生活 母子の実態 - Yahoo!ニュースについて

 

日本の高校へ入学をすることになった時、母が営んでいたスナックにホステスとして(娘として名を伏せて手伝っていた)接客していた時、はたまた自動車免許の教習所においてでさえも、なぜ朝鮮人を入学させるんだ、あるいは朝鮮・韓国人は日本人に民族として劣っているという話を大の大人たちが口をそろえて、私に言ってきたものだ。

 

母は朝鮮人・韓国人がバカにされるのは、結局は戦争に負けて、植民地化されたからだと。それに打ち勝つには、自分が偉くなって(いわゆる名誉・地位・金を身につけて)見返すしかない。そうすれば、悪くいう連中のことは、所詮負け犬の遠吠えとしてしか聞こえなくなる。悔しかったら、金持ちになってみろ、偉くなってみろと。

しかし、それは私にとってはむなしい答えでしかない。

 

結局、人間というのは、いつも誰かと比較して自分が優位に立っているということを肌で感じていなければ気が済まない生き物だと私は思う。

欧米に戦争で負けた日本がアメリカ等に頭があがらない、断固としてNOと言い切れないところは、なんだか韓国と日本との関係を見ているようだ。

戦争で勝った負けた、植民地支配、強制連行、慰安婦問題、果ては竹島問題等々、歴史は歴史として歪めずに知っておくべき、学ぶべきであり、重要なのはその後私たちはどうすべきか、上っ面ではない友好的な関係をいかに築き、持続させていくべきかではないだろうか。

未だに、植民地化ではない、慰安婦ではなく売春婦だ等、たくさんの資料や証言(これでも読書好きな私としては、歴史を知るべく双方の立場での書籍は幾冊も幼少から読んできた)があっても、争いが絶えない。

人間の愚かや残酷さは日本人、朝鮮・韓国人皆同じく、そして、その優劣など語ったところで何になろう。私は、毎日のように出る韓国・朝鮮批判のTwitterや記事に正直怒りを通り越して人間の悲哀しか感じない。

私が生きている間に南北の統一はおろか、日本と韓国との友好的な関係の持続化は見られないのか、在日は、韓国でも日本に住み着いているがゆえに良く思われず、日本では国に帰れとなじられてきた在日韓国人の自分としては、ただただ流浪の民のごとく、居場所がないまま死んでいくようで、至極残念で仕方ない。この日本と韓国との関係を考えるとき、人知れず涙する私だ。

 

子どもの頃からの純粋な疑問。どうしてお隣さん同士仲良くなれないの?仲良くなれたらいいのに...。

 

永遠のテーマになってしまうのは嫌だな...。

 

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K-POPへの傾倒

在日である私は、どこかでK-POPたるものを敬遠していた。10歳の頃から、洋楽、特にHR/HMばかり聴いていた私は、甚だしい偏見を持っていたように思う。

日本人が韓国に行くと、日本の10年以上前の姿をみているようだと、帰ってきて口にする人々が私の周りには多くいて、内心ムッとしながらも、足が不自由なため渡韓したことのない私は、そうなのかあと渋々受け入れていたのであろう。

それでも、私が20代前後だったか、ソテジワアイドゥルというヒップホップグループが日本でも流行っていた時があった。その時は、ヒップホップを好まない私でも、彼らのパフォーマンス、ダンスとラップに衝撃を受けた。何でもかんでも欧米だの日本だのと言って、どこの国が優れているかなんて比較したりするのが好きな人がいるが、いやはや韓国の音楽も素晴らしいではないかと。

ただ、ネットが普及していない時代であったため、ソテジ~以外の他のアーティストの曲を聴く機会がなく、結局遠ざかってしまった。

 

それから、2000年に入り、東方神起が出てくるも、私の趣味ではなかったこともあり、彼らの特定の曲以外は聴いたこともなく、その頃の私は、これまた自身の中ではジャニーズなんてありえないと思っていた関ジャニ∞にどっぷりはまっていた。渋谷すばるの歌唱力に魅せられた一人だ。今思うに、ジャニーズに対しても偏見でしかなかったのだ。

 

その後、Amazonプライムでたまたま観た韓国のバラエティ番組「三食ごはん」で2PMのテギョンを知り、単純にかっこいいだけでなく、賢いが愛嬌もあり、何よりポジティブで明るい彼のファンになってしまった。歌手だと知って、すぐに2PMのアルバムを全部聴き、テギョンはもちろんのこと、全員のファン、このグループの団結力の強さとどんな仕事でも2PMの一員であることを誇りにしている彼らを応援したいと思うようになった。

最初の数年は彼らの曲以外は一切耳にしない日々、それこそ毎日同じ曲は何回もかけまくる日々が続いたが、ここ2年ぐらいは、食べず嫌いならぬ聴かず嫌いをせずに、K-POP全般を聴くようになった。2PM以外にもVIXXやMONSTA X等々自分の耳に心地よいものはすべて聴くようにしている。

 

是非、皆さんにも韓国の音楽を聴いてほしい。私も在日でありながら偏見にとらわれていた一人として、一度YouTubeでもSpotifyでも気軽に聴けるので、耳にしてもらいたい。音楽を通して、日本人と韓国人が仲良くなれることもとても素敵なことだと思う。


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9年の浪人生活 母子の実態 - Yahoo!ニュースについて

news.yahoo.co.j

このニュースを読んで、私と同じ生き方(殺人こそ犯していないが)をしてきた人がここにもいたことに涙した。

もちろん、殺人を肯定しているわけではない、しかし、そこまで追いつめられてきた彼女の生き様、逃れたくても逃れられない母親の呪縛、私には手に取るように理解できる。世間では、親子間に何の問題がないように見えても、家の中では、「死ね」「産まなきゃよかった」等罵倒され、生活全般を監視され、勉強のみの日々。頭も心も親に支配されていて、自分の意見が言えない、もはやないに等しく、気が狂う一歩手前で体の不自由な私の場合は家を逃げ出した(その後の日々は決して平穏ではなかったが)。親からは戸籍を抜かれた。その後、20年会っていない。一度、結婚します(私より障害の重い彼ではあったが、人生で初めて得られた良き理解者である)との手紙を出したが、やはり連絡は来なかった。気の強い、気性の荒い母ゆえ、一度絶縁すると決めたら曲げる人でないことはわかっていたが、挨拶だけはしたかったのだ。

 

私は、母親と、そして家族と絶縁したものの、未だに母親の呪縛から解き放たれず、生きている。弁護士になれなかった、いや勉強を放棄した自分を、負け組だとどこかで蔑みながら、卑屈になって、社会生活を送り続けていることに疲弊している。死ぬまで続くであろう親から植え付けられた学歴、地位、名誉、金がすべてという価値観が意味をなさないと思いながらも、いやそうではないと自問自答している毎日に自分でとどめを刺すべく、死にたいと思うときもある。しかし、一方で、この苦しみも含めて、生き抜いてやる、自分が死ぬ間際に何を思い死んでいくかはわからないが、与えられた命だけは全うしようと、固く決意している。それが生まれたことへの義務だと思いながら...。

 

生きることの意味

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自分は何のために生まれてきたのか

私は、幼少の頃から常に頭からその疑問が離れなかった。

大人になった今でも変わらない。

心療内科に行ったときに、それは親子関係の不全が招いた結果であり、親に愛されたことがない人にありがちだとのこと。いわゆる毒親から縛られて、未だその呪縛から解き放たれることなく、苦しんでいるからであろうと。

 

私は、人間関係が大人になるにつれて苦手となり、親の顔色を伺って育ってきたせいか、社会に出てもその癖は治らず、そのために自分が悪くない事態であっても、必要以上にに謝り、結果、自分から身を引いてきた。つまり、会社を辞めてしまうということを繰り返してきた。

 

そんな社会不適合者?ともいえる私が、未だに「生きる意味とは?自分は何のために生まれてきたのか?」を問い続けている。哲学や心理学等のあらゆる本をあさって読み、あるいはカウンセリングや講習を受けたり、あるいは病院へ行って助けを求めたり...。

 

「あなたは愛されるために生まれてきた」

私の現在の結論は上記の言葉に尽きる。未だ愛というものを知らない、生まれてこなければよかったと考えてしまう自分の人生において、あなたは愛されるために生まれてきたんだよということを実感してほしい、それが私の大事な使命なのかもしれないと。自分を好きになれず、自分を大事にしない人間が、人を愛し、人に手を差し伸べることができない、いや、できたとしても、それは自分に無理に負荷をかけて相手を助け、結果、自分が疲弊してしまうだけだろう。

だからこそ、自分を愛し、自分は愛されるために生まれてきたことを知ってほしいという神からの問いかけを感じるのだ。

現実にはなかなか自分の思考を変えられず、つらいところなのだが...。最期に、そう思える自身でありたいことだけは確かだ。

 

ブックオフオンライン

初めてブログを書きます

            

在日韓国人で、名前はミヨンです(イ・ミヨン)。

 

文章を書くことが好きな私ですが、ブログにまで手が伸びず、最近ようやくTwitterをやり始めたという有様です。

今日は、私が一番好きな映画「ライフ・イズ・ビューティフル」について書いてみようと思います。暗い時代背景の中、内容が重くなりがちに見えますが、主人公グイドの明るさゆえに重苦しさはかえって感じられませんでした。愛する家族のため、最後までポジティブに、そして笑いを絶えさせることのないグイドの一貫した姿勢、その生き方はとても真似できるものではないにしても、たとえ悲惨な状況下にあっても、人生は捨てたもんじゃないということを私たちに改めて教えてくれる名作です。

この映画を何度か繰り返し観ていますが、そのたびに、自分の命が尽き果てるまで、グイドのように、人間としてこうありたいと思わせてくれる作品でもあります。ネガティブ思考で、弱音ばかり吐いて生きてきた私だからでしょうか。

 

人生は素晴らしい

どんな状況であれ、自分次第、考え方次第で得られる価値観。

 

 

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