leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

生きること、死ぬこと

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遠藤周作の本(随筆)の中で、大御所の作家に「40代になったら、人生の集大成をしないとならんが、君はどうだね」と尋ねられて、自分の人生を振り返っている場面がある。

 

私は、10歳の事故で死を覚悟し、奇跡的に助かったが、障害者になった。

しかし、母親が引いた人生のレールである司法試験の勉強しか許されない、いやそれが当たり前であり、家族を喜ばせる唯一の方法であるために、愛されるために必死だった私には、自分の人生を生きたというにはあまりにも恥ずかしい経験しかない。青春も恋愛も家にいた25まで経験がなく、精神が壊れてしまったがゆえに、この家から必死に逃げたものの、その後の自分の人生をどう生きるか、何をしたいかという考えが浮かぶ余裕などあるはずもなく、ただ、生きるために、職業訓練校に入って、障害者(車いす)でも勤められる唯一の道である一般事務に就いて、必死に毎日働くだけであった。

夢や希望などと言うことは、弁護士になれしか言われたことがなかった私には、もはや思い浮かばない、自分の意見や意思を押し殺して、親の言いなりになったまま大人になってしまったためかもはや家を出たときには自分が何をしていいのかわからない。それ以上に、自分が障害者であるという現実を考えると、職は限られているため、勉強しかしてこなかった私には、事務仕事しかなかった。

その中で、つらかったことは思い浮かんでも、楽しかったことは何一つ浮かんでこない。幼少の頃から、人の顔色を伺って生きるのが日常のため、自分が楽しいのではなく、人を喜ばせるための発言や行動ばかりしてきたから。

親から離れて独立したら、自分の人生を取り戻すんだ、そう思っていたが、うまくいかなかった。小さい頃から支配されてきた母親の金、地位、名誉、学歴がすべてという教育観念に縛られて、もはや自分は負け組だという思いと激しい劣等感、そして相も変わらず、へりくだって生きて、人に気を遣い過ぎて自分が疲れてしまい、果てには人間関係が崩れていくと自分から職を辞すということを何回か繰り返してきた人生だった。

心理学、哲学等の書物、カウンセリング、心療内科での投薬、認知療法等、何をやっても、根本は変わらずこの年まで生きてきてしまった。自分は何をしているのだろう、同じ負のスパイラルの中で苦しみ、それでもまだ生きている。楽になりたい。でも、ここで死ぬわけにはいかない。そんな自問自答を何百回も繰り返してきた。

 

私も折り返し地点に来ていると言ってもいい。

人間関係が原因で3月にまた職を辞したのだが、最近ブログを始めて、一つ目標ができた。今度、就職したら(もちろん長く、定年まで働けるところであることを視野に入れて)、放送大学で、臨床心理の勉強をし、資格をとって、生きることに悩んでいる人々の力になりたいこと。残りの人生は微力ながら、悩める人々、生きるのが辛くて苦しい人々の支えになれれば本望だ。もちろん、実務経験1年以上なくては、臨床心理士にはなれないので、私に実務を許してくれる企業や学校がこの体であるかわからないが、認定心理士の資格だけはとるべく、大学に入ろうと思う。もちろん、仕事をしながらの勉強であるが、やりたいことができたことは私にとっては活力になるだろうから、大変でも死ぬまでには成し遂げたい。

 

神さま、両足の下半身麻痺以外にもいろんな病気を持っている私ではありますが、何とかここまで生かされてきました。充実した人生とは言えませんでした。自分のやりたいことも、夢も目標もありませんでしたから、決して一生懸命に生きているとは言えなかった、結局は惰性で生きていたに等しいからです。どうか、この認定心理士の資格取得、願わくば臨床心理士になり、少しでも人の役に立てますように、お導きください。

 

 

惰性で生きてきた私の数十年の人生ではありましたが、今後の残された人生は神と人々のために生きる者とさせられますように。

それまでは、死ねない。