leemiyeonのブログ

在日韓国人です。10歳の事故で今は車椅子ですが、楽しく生きたいをモットーに日々奮闘しています。

宮部みゆき「火車」

中高生の頃、赤川次郎ライトノベルは、友達に借りたりもして一時はまっていた頃もあったが、本格的に現代ミステリー小説なるものを手にとったのは、20代に読んだ宮部みゆきの「火車」が初めてだった。

 

1990年代、クレジットカードが普及してまだ間もない頃、カード破産や多重債務について、それほど世間で知識を備えている人がいなかったように思う。

 

休職中の刑事・本間は、銀行員の従弟から、失踪した婚約者・関谷彰子を探してほしいと言われ、彼女の行方を捜すことになる。従弟である和也の話では、彰子にクレジットカードの作成をすすめたところ、審査段階で自己破産経験者だとわかった。その真偽を確かめる間もないまま、彼女は失踪してしまう。

捜査に乗り出した本間は、彼女が過去に勤めていた会社、自己破産手続きを行った弁護士を訪ねる。すると、関根彰子という名前は同じでも、勤め先での彰子と、弁護士が会った彰子は、容姿や性格が全く違うことを知る。つまり、この二人は別人であり、何らかの方法で「関根彰子」たる人物になりすまして生きている女性がいたのだ。

本物の彰子はどこにいるのか?そして、成りすました女性は一体何者なのか?

 

本間が調査を進めていく中で、浮かび上がる一人の女性、新城喬子。彼女は、父親の遺した借金(住宅ローン)ゆえに、一家離散、取り立て屋に苦しめられ、売春等を強要され、地獄のような生活から逃げる日々を送っていた。平凡な幸せをつかむために、自分と境遇の似ている人物を、勤め先で取得した個人情報をもとに探し出したのが、関根彰子であったのだ。喬子は彰子を殺し、戸籍を乗っ取る。そして、和也と知り合い、婚姻にまで至ろうとした矢先、実は、殺した彰子も、自分と同じ多重債務者であることを知る。借金ゆえに逃げてきた彼女が成りすました女性もまた借金で苦しむカード破産者であった、皮肉にも。

 

私は、この小説を読んだときに、殺人行為はもちろんあってはならぬが、なぜか新城喬子(関根彰子に成りすました女性)を憎めなかった。彼女のあまりにも不幸な境遇、凄惨な人生、カード社会に潜む闇、そのすべてを彼女の責任にすることができなかった。

 

 

「ただ幸せになりたかっただけなのに」

火車」の中で、本物の関谷彰子が破産手続きに際し弁護士に言う言葉。印象深くて、今でも忘れられない。これは、新城喬子の心の声でもなかろうか。

 

 

当時の私も辛い人生を送っていたせいか、未だに身に染みる言葉であり、誰もがそうなりたいとは願ってもなれない人生もあるのだということを、考えてしまうときがある。